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ローマ人の物語〈15〉ローマ世界の終焉

ローマ人の物語の完結巻、文庫版の発売が待てないので書籍版を買って読んでしまった。
では氏の仮説を断言にして名言風に抜粋。
p23

亡国とは、黙って静かに生きてきた末に訪れる現象ではない。強風にあおられた波が前後左右にぶつかっては泡立つように、社会がコントロールもなく流動し合った末に行きつく結末だ。

p72

「共同体」(res publica)と「個人」(privatus)の利害が合致しなくなることも、末期症状の一つである。公共心も、個人が、自分の利害と自分が属す共同体の利害は連動する、と思えた場合に発揮されるのである。

p135

人間には、絶対に譲れない一線というものがある。それは各自各様なものであるために客観性はなく、ゆえに法律で律することもできなければ、宗教で教えることもできない。一人ひとりが自分にとって良しとする生き方であって,万人共通の真理を探求する哲学ではない。ラテン語ならば「スティルス」(stilus)だが、イタリア語の「スティーレ」であり、英語の「スタイル」である。






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『ローマ人の物語』 31 終わりの始まり[下]

本書では仮定で書いてあるが、断定で抜き出してしまおう。
p108

人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられたことの失敗例で、おおかた埋まっている。






『ローマ人の物語』38-40 キリストの勝利

塩野七生さんが文藝春秋で小沢一郎さんをカエサルばりにプッシュしていたのを覚えていたから、民主党代表選後に本屋でみかけて足が止まった。後回しにしていた続きを読もう。

民主党代表選にまつわるいろんな記事を読んだ後だったから、いやでもダブらせて読んでしまう。p199

…つまり、本音は脱税にある、聖職者コースへの転出である。キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝と息子のコンスタンティウス帝の二人によって、キリスト教会に属する聖職者は免税と決まった。地方自治体の有力者層が、雪崩を打ってキリスト教化した真因は、これにあったのだ。しかも後期のローマ帝国は、兵士と行政官僚の数を倍増している。そのうえ教会関係者という、非課税の階層を作ってしまった…
この状態でもなお、皇帝は税制を変えない。その皇帝から税の減収の穴埋めを迫られた官僚が、特別税や付加税の名目をつくっては税を集めるようになったのも当然の帰結だった。
…ユリアヌスのところに官僚が持ってきた税の増収案も、いつものように官僚たちの頭がひねりだした、名称だけはもっともらしい特別税だった。しかもかれらは、ガリアの安全が保障されなかった時期の余波でブリタニアからの税収も入ってこなくなり、この窮状を打破するには増税しかないと、副帝の彼に承認を迫ったのである。
 しかしユリアヌスは、決然とそれを拒否した。そして、次の二つの政策をただちに実施するよう命じたのである。
 第一は、出費の無駄の解消とと既存の費用の節約。無駄はあらゆるところにあった。…
 第二の政策は、税の徴収の公正。地位の高い者や富裕者には甘く低所得層には厳しくなりがちだった徴税執行者による手加減を、厳しく罰することで牽制したのだった。
 政策の第三だが、特別税による増税どころか、既存の税の減税を命じたのである。税の減収の主因は、蛮族の侵略によって破壊されたガリアの東半分の生産性の低下にあった。それなのに新しい特別税を課したりして増税すれば、蛮族の撃退には成功して平和がもどっても,それはこの地方の活性化にはつながらなくなる、というのがユリアヌスの考えである。…
 ユリアヌスによる減税は「人頭税」と呼ばれていた税で早くも実行に移され、それがこれまでは25ソリドゥスであったのが7ソリドゥスにまで引き下げられたという。



二十歳まで幽閉生活で「哲学の一学徒」でしかなかったのが、いきなりローマ軍の「副帝」としてデビューし、持ち前の生真面目さと意志の強さで蛮族の侵入で荒廃していたガリアを再興してしまう。その後兵士たちが正帝の命令を拒否するだけでなくユリアヌスを皇帝としてかつぎ、実際そうなってしまうというのだからおもしろい。


管陣営の人が選挙に勝ったあと「こっちの選挙対策本部はサークル活動のようだったよ」と言っていた。また小沢支持の細野豪志さんは、「自由党との合併前の民主党には一年生議員が代表に直接食ってかかっても誰も驚かないような空気があって、自由党はそうじゃなかったからどうかと思っていたが、小沢幹事長の下で働いてみて、ここは力で押さないともう決まらないという局面ではさすがだと思った」とも言っていた。そういう話が耳に残っている。

二十四歳のユリアヌスにはあったのに、小沢一郎さんに足りないもの、今の民主党政権にないものはなんだろうね。

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ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社 2010-08-28
売り上げランキング : 121



『拝金』 堀江貴文



「何でも買える額だけど、何も変えない額さ」




そのほうがホリエモンらしいと思って、電子書籍版を携帯で読んでみた。文章もシンプルだから、小さい画面で読めばまるでひと頃のケータイ小説のよう。

「この本を読めば、きっと誰もが突き抜けらる。そんな思いを込めながら、この小説をみなさんに発信します。」だそうである。突き抜けるとは「金、女、酒、美食、あらゆる欲望を」だ。

勘違いしてはいけない。あとがきでちゃんと説明している。

それがムチャクチャ気持ちいいというか、物凄い快感を与えてくれるのだ。突き抜けた結果、聖人君子のようになるという意味でもなく、なんというか、欲から解放されて、欲そのものと一体になれるというか、うーん、やっぱり言葉にするのは難しい。
 でも僕は自分の感じた気持ちをできるだけ多くの人と共感したかった。
 あれ、すげえんだぜ。
 それをなんとか、みんなに知ってほしかった。
 じゃあ、どうするか? 僕が体験した世界を読者に追体験してもらう


いや、やっぱり言葉でちゃんと説明するのは難しいそうだ。でも欲望にまみれる人々のことはしっかり描写されているので、ホリエモンさんは小沢一郎さんが新党を立てたらそこから比例で出ればいいと思うんだ。民主党の仕分けみたいな理詰めな雰囲気じゃなくて、甘い汁を吸う人間たちを見下すあの顔とあのもの言いでやってくれたら、庶民は「いややっぱり痛快な人じゃないか」とこうね。宇宙もいいけど、やっぱりまだホリエモンスターキャラがもうひと暴れするとこ見たいよね。日本の状況的にね。




『若い読者のための短編小説案内』村上春樹

村上春樹氏がアメリカの大学で講義したものをベースに、文春編集部で再講義?して活字になったもの。
題材は以下の作品。

『グーグル秘録』 ケン・オーレッタ

Googleの中の人の話をたくさん聞いた話だから「秘録」というのも嘘ではないが、秘密めいた話を期待するなら違う本を買ったほうがいい。Googleのブランドは検索結果に対するユーザーの信頼であって、シークレット的なマーケティングでもなければ、自社の広告拡大でもないのだから、中の人の声が貴重なのはこうしたジャーナリストの取材を受ける優先順位が低いから、だけのようだ。原著名は単に『Googled』である。

 後でまた読みたくなりそうなところを長いけど引用しておこう。ゴア元副大統領の話がよかった。

2001年にホワイトハウスを離れた後、ほどなくしてグーグルのコンサルタント兼アドバイザーとなった元副大統領のアル・ゴアは、グーグルの"優れた価値観"について好んで言及する。こうした価値観は他の企業にも広がっていると、私に語ったことがある。「グーグルの成功は独自のアルゴリズムや、"収穫逓増の法則"によるものだと考える人は、グーグルが従業員の能力開発や職場としての魅力を高めることに如何に努力をしているかを理解していない。だからこそ、グーグルには抜群に優秀な人材が集結してきているのだ」と彼は指摘する。トップレベルの技術系大学院は、毎年ひとにぎりの天才的な人材を送り出すが、グーグルが「最も才能ある人材を、企業規模に対して不釣合いなほど多く」獲得できるのは、彼らに照準をあわせているからだとゴアは理解している「私自身、グーグルに頼まれて大学の幹部に電話したことがある」と話すゴアは、こう付け加える「重要なのは、質の高い従業員の採用やつなぎとめだけではない。コミュニティの価値観や、より良い世界を作ろうとする企業姿勢だ。人は単に自分の収入や企業の業績や利益のためだけに働いているのではないと感じたとき、内に秘めた創造力を大いに発揮するものだ。自分のやっている仕事は世界をより良い場所にするためのものだと自覚するのは、単に気持ちがよいといった類のことではない」(p43)


毎日の暮らしの中で頭の中に溜まってきたものがある日、あるアウトプットになり、それが世界をより良い場所にするものだったら、それはもう、生きててよかったと思っていいことだと思うなあ。

イスラエル出身の著名な指揮者であるタルガムは、しわの目立つ綿のポロシャツの上にセーターをはおり、まばらな髪の毛はボサボサという風貌で半円形のステージに現れた。それでも「指揮と革新的な経営の共通点」という30分にわたるスピーチは、確実に聴衆の心をとらえた。
「音楽は本来、"雑音"に過ぎません」とタルガムは語りだした。「大勢の人々の音を一つにまとめること、それが指揮者の仕事です。」今世紀の指揮者のうち五人を挙げいずれも傑出した才能があったが、真に革新的と言えるのは二人だけだという。
 照明が落ちると、大型スクリーンには威圧的なリッカルド・ムーティの映像が流れた。いかめしい表情と、ロボットのような指揮棒の動きはオーケストラから"喜び"を奪い、個々の演奏家の成長を妨げた、とタルガムは話す。「ムーティは絶対に表情を変えない。全員に何をすべきか伝える、徹底した管理主義者だ」と話した。
 二人目の指揮者はリヒャルト・シュトラウスで、機械的に腕を動かす様子は心ここにあらずといった雰囲気だった。オーケストラには自由を与えたが、権威はなく、インスピレーションも与えなかった。三人目はヘルベルト・フォン・カラヤンだった。決してオーケストラを見ようとせず、インスピレーションを与えることもなかった。
 四人目はカルロス・クライバーで、指揮をする表情は歓喜に溢れていた。「クライバーは全体の流れを創り出す。奏者に自由な感覚を与えながら、権威もあった」とタルガムは説明する。「彼が目でソリストに不満を伝える様を見れば、それが良く分かる」
最後に自分の最も好きな指揮者をしょうかいした。スクリーンにはレナード・バーンスタインが、オーケストラを舞台に迎え入れる様子が映し出された。オーケストラはストラビンスキーの『春の祭典』を演奏するため、世界中から集まった高校生だった。練習初日、即席オーケストラの音はまったく合わなかった。それでもバーンスタインは"権威"を振りかざそうと指揮棒を振ってはいない、とタルガムは指摘した。
 バーンスタインは演奏を止め、ストラビンスキーが表現しようとした感覚、春の草の香りや目覚め始めた動物たちについて高校生たちに語りかけた。「バーンスタインは『世界は君たちが考えているより、ずっと広いんだ』と教えることで、生徒たちに力を与えようとしている」
 場面は一週間後に変わり、高校生のオーケストラは、一心不乱にバーンスタインを見つめていた。バーンスタインは美しいハーモニーを奏でるようになった彼らに、明らかに満足げな表情を浮かべていた。
 彼は指揮棒も持たず、腕組みをしたまま、表情を動かすだけで指揮をした。低音のコントラバスに指示を出すときには頭を低くして口元を結び、高温のバイオリンには眉を上げてサインを送り、ホルンにはうなずいて見せた。そしてフィナーレでは満面の笑みを浮かべた。
 その光景の意味をタルガムが説明する必要はなかった。卓越したリーダーが部下をどのように開放するものかを示す、すばらしい経営セミナーだった。バーンスタインはボスではあったが、独裁者ではなかった。オーケストラのメンバーの最良の部分を引き出し、それぞれをコミュニティの一員としたのだ。(p429-)


このバーンスタインの高校生オーケストラチームのような開発があったらまさにユートピアだろうな。でもGoogleの人たちは、「世界をよりよい場所に」という気持ちを合わせ、創造力の発揮を応援され、お金や上下の人間関係のことも気にせず働けるなんて、本当だろうか?

ともかく、便利すぎるググる行為によって毎日の暮らしの中で頭の中に溜まっていくはずのものもサラサラと砂のように流れていってしまい、創造力をはたらかせるための蓄積の機会も失ってしまうのなら、それもだめなんだ。
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グーグル秘録
ケン・オーレッタ 土方 奈美
文藝春秋 2010-05-14
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『考える人』 2010年 08月号 村上春樹 ロングインタビュー

1Q84のBOOK3は発売日に買って一週間くらいでひととおり読んだけど、実につまらなくて、それがつらかった。今は短篇集の「めくらやなぎと眠る女」を読んでいる。ハルキワールドに行きそこの空気と日に焼けた肌を持って帰ってきた気持ちになれるので、一篇づつゆっくり読んでいる。

これは記事というか、厚みにして雑誌の3分の1、100ページまでを占めている。初めて行った青山ブックセンターでもドスンと平積みですぐ見つかってしまった。













『99・9%は仮説』 思いこみで判断しないための考え方 竹内 薫著

「すべては仮説にはじまり、仮説におわる」というわたしの科学的な主張は、はたして反証可能でしょうか?

という読者への謎かけに僕も答えてみよう。ヒントは、この本のタイトルはなぜ「99.9%」なのかということだそうである。そもそも、「質問には答えがある」というのも仮説にすぎず、答えなどはじめからなにもないかもしれない、とも続いている。

じゃあ答えよう。残る0.1%は仮説に終わらないといっているのだから、その科学的な真実でもって反証できるはずである。しかしそれで100%すべて、もう満杯だというには、そういう人の外側に立つ観察者が必要で、そんなものはないのでやっぱり反証不可能である。いや、ある日宇宙人が国連本会議場の壇上に立って真説を述べてくれれば可能かもしれない。

この著者は宇宙人ユミットの本も翻訳されていて、僕は浪人生だったか大学初年度だったか、世の中を一番疑ってかかっていた頃に読んで衝撃を受け、今もってそれはローマへ続く街道のような仮説である続けているせいで、実は竹内さんも本当はユミットから手紙を受け取っていて、竹内さんの言うことは何でも、とどのつまりユミットが存在しちゃってるからなんじゃないのと見てしまう仮説が、僕にあるからね、もう!






『わが友マキアヴェッリ』 塩野七生

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉 (新潮文庫)わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈2〉 (新潮文庫)わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈3〉 (新潮文庫)チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)


人生を1本の針金に例えれば、太く短く真っ直ぐなものから細く長くクネクネのものまで、それこそ人の数だけの形があるだろうけど、どの針金にもその人間の支点となるポイントがあると思う。その時そのポイントを生きている当人には、それがその時であることが分からない。僕のその時もまだかもしれないし、あるいはもう過ぎているのかもしれない。

本の冒頭に登場するエピソードを、それを塩野七生さんがマキアヴェッリの「そのとき」と思ったのではないだろうか。後世の人に与えた影響の大きさで彼の人生をソートすれば、世界中の教科書にも載ることになる著作がマキアヴェッリの人生の成果物だし、僕もそう思う。でも、後世のことなんて知らないマキアヴェッリ本人は違うというかもしれない。だって、人生の最期に病で臥せっているとき、それは悔しさを募らせるだけの思い出したくもないことだったかもしれないだろう。あるいは逆に、物事を愉快に笑い飛ばす性質の人だったようだから、おれの人生は結局そういうことだったといって面白おかしく振り返られたのかもしれない。

愛する国家のためにはたらくことほど尊いことはないというマキアヴェッリ。それをファシズムに使ったのは機械化し工業力の規模で争いあった20世紀の国家の人間だ。以降、政治の手練手管というのは国家の歩む道を誤らせかねないよくないものになってしまったが、当人はこの本を読むかぎり、そんなつもりはまったくない。それは、愛する人たちが暮らし大切なものを守る街というものに対しその独立を守るための策であり、フィレンツェなどの都市国家や、フランスやドイツなどの君主国家が乱立していたヨーロッパで、戦争といってもするのは金で雇った傭兵、金の力だけでは国の守りがままならないことから、マキアヴェッリ自身が市民自身が兵として国を守る制度を作っていたほどだ。

そのマキアヴェッリがいたフィレンツェにメディチ家が復帰し、公職をクビになったマキアヴェッリが書いて送った手紙の内容が本の冒頭に紹介されている。人が寝静まった夜中に一人自室で官服を着て、「4時間も時を忘れて過去の偉大な政治家などの公人と(頭の中で)会話を交わしている」というとてもイタイ話だ。著作が書かれたのもこのころからである。教科書に載っているからって、地位も名誉も才能もある人が書き残したんだろうくらいに思っていたらえらい違いだ。そして単なる野心家の情けないエピソードに終わらないのが塩野七生さんの描くマキアヴェッリで、人生を3段階に分けて3分冊とした3巻目に、今度は肖像の写真付きで再度紹介される。肖像の写真が紹介されるのもここが初めてで、まったく憎い構成だ。塩野七生さんが「わが友」とタイトルにつけるほどのマキアヴェッリの洞察力の深さと諧謔がありながら、人生はままならないもんだというのが読みどころとすれば、読む順はマキアヴェッリが実際に外交使として接し、君主のモデルとしたというチェーザレ・ボルジアの『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)』のほうを先に。



『奇跡の脳』 「My Stroke of Insight」 ジル・ボルト・テイラー

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解剖学、脳科学の専門家が脳卒中に襲われたらそれをどう観察するのか、という興味で読んだ。書評は今週の本棚:養老孟司・評 『奇跡の脳』=ジル・ボルト・テイラー著 - 毎日jp(毎日新聞)が分かりやすかった。

ある朝突然ひどい頭痛に襲われ、寝覚めが悪いとフィットネスの機械で運動してみたりシャワーを浴びたりするが、どんどんひどくなってくる。もう助けを求めようと電話機に向かうが、電話機って何するものだったっけ?あの人は名前は、あー、えっとアルファベットは、この番号の数字の意味は何?と名詞の束をひっくり返してようやく電話をかけても、今度はまともに言葉も声も出てこない。「わーたーしージ、ジルル、あー」・・・

僕も交通事故で意識を失って元に戻るのに丸一日かかったことがあるので何となく想像できる。何度か目を覚ますたびに「ここどこ?ここで何してんの」と親に聞いていたそうだが、まず時間認識がてんででたらめで、窓の外の明るさを見ても、今が昼なのか夜なのかという認識がない。というかしない。時間の前後がない。空間認識もでたらめで、自分がいる病室がどれくらいの広さでどこに位置しているかは分かっても、ここがどこの病院でその何階で、病室の外はどうなっているのかとなると認識の対象外。知るべき対象だとも分かっていない。ようやく自分で立てるようになってトイレに行こうとしても、まるで何かの台車にのって滑っているようにフワーと進んでる感じしかしないので、手すりにつかまってないとまっすぐ前進できない。健康な状態で自分だと認識している意識というのは、バラバラな情報が組み合わされてようやくできているのというのが分かる感じだった。

そして、読んで一緒だったことに驚いたのが、やたらめったらとにかくハッピーで幸福感に満ち満ちていた点。「幸福な恍惚感に宙吊りになっている」といわれるのがぴったりだった。事故って入院し、意識もはっきりしてない状態なのに、こんな気分でオレは本当にバカになってしまったんじゃないかと思ったが、それすらどっちでもいいくらい、この最高の状態がずっと続けばいいのにと思っていた。結局、時間とともに頭はしだいにクリアになってきて、すれ違う看護婦さんがかわいいかチェックしたりとか、病院服きている自分が情けない姿だとか、何かするのに分単位の時間の経過を把握したりだとか頭でちまちまと細かいことを考えたるするように戻ってしまった。それでも退院するときには、車の中から外の様子を眺めて、すっかり回復できた幸運と戻れたことにうれしくなった。

著者のいう共感する気持ち、というのもあったかもしれない。何しろ自分と他者をあんまり区別してないから、その人が笑えばそのまま自分もスマイリーな気分に直結した幼児のような感じだった。これも、頭がクリアになってくるにつれてなくなって、元の「自分以外の人間はクソクラエだ」みたいなクソクラエな高校生にすっかり戻ってしまった。

しかし著者は違った。脳卒中発症時点で37歳、今の自分くらいだ。しかも解剖学者で脳の専門家でもあるから何枚も上手だった。もちろん自分のようにリハビリもせず勝手に治ったものではなく、大手術の上に何年間もの人並み外れたリハビリを通してだから話が違うのだが、読んでいてそう思うことしきりだった。

本書の第一の目的は、脳卒中などで同じような状況になった人や、それをケアすることになる回りの人に対する、脳に対する無知ゆえの失敗や苦労に少しでも助けになろうとすることだそうである。しかし、本書の後半はもはやそこにとどまらない。何しろ著者はもう上記のような全知全能ニルヴァーナ感の虜になっていて、それによってハッピーに人生を送ることの素晴らしさを伝えるメッセージに費やされている。これは下手するとメンタルマインドコントロールで自己啓発しましょう的な、かたい向きにはこれは科学じゃないよと読む気をなくしかねない話だが、何せあの幸福感に共感してしまった僕はもう大賛成だ。だってあれ本当の話だから、全然胡散臭くないのだ。

p217にあった、回復のためのオススメ 附録A:病状回復のための10の質問というのは、あれっと思ったときのクイックチェックにもなりそうだ。

  1. 見たり聞いたりできているか、誰かに目と耳をチェックしてもらいましたか?

  2. が判別できますか?

  3. 三次元を知覚できますか?

  4. 時間についての何らかの感覚がありますか?

  5. からだのすべての部分を、自分のものだと確認できますか?

  6. 背景の雑音から、声を判別できますか?

  7. 食べ物をにとることができますか?で容器を開けられますか?自分で食べる力と器用さがありますか?

  8. 快適ですか?充分に暖かいですか?喉が乾いていますか?痛いですか?

  9. 感覚的な刺激(光や音)に対して敏感すぎていませんか?もし「敏感すぎる」なら、眠れるように耳栓を持ってきて、そして目を開けていられるようにサングラスをかけて。

  10. 順序立てて考えられますか?靴下と靴が何であるか分かりますか?靴の前に、靴下をはくという作業が理解できますか?



タイプしていて思い出した。若年性アルツハイマーの夫を看護する妻という夫婦を追った番組。夫は日産の元部長か何かで、職場の飲み会に招待されて座っているのだけど、やはり時間とか空間を回りと共有できていないような満面の笑の顔が、見ていて身につまされた。重めのイントネーションでナレーションを入れている番組だったが、取材者は妻に、妻だと認識されなくても介護すること云々を質問していたように思う。妻は車を運転しながらさらっと答えていた。「なんか親切な人がいると思ってくれていたらそれでいい。」妻無敵。ワールドカップ日本代表が初めて決勝トーナメント出場を決めたときに観客がしたように、僕はガッツポーズした。番組のナレーションは重々しく続いていた。


しかし、訳者の竹内薫さんは好きな人だけど、翻訳書のタイトルってもうちょっと正直にというかつましくというか、何とかならんのかね。この話に奇跡はないし、いらないけど、読んだ後の悪い残尿感を与えてくれるタイトルにはいつも奇跡を感じているよ。

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奇跡の脳
Jill Bolte Taylor  新潮社 2009-02
おすすめ平均 star
star脳卒中にかかってみてわかったこと
star寝たきりだけど意識のある親類を想う
star幸せになるプレゼント





『量子コンピュータとは何か』 ジョージ・ジョンソン

タイトルが専門家が一般向けに解説した退屈な本のようだが、原題は『A SHORTCUT THROUGH TIME』で副題はThe Path to the Quantum Computerだ。著者はニューヨーク・タイムズ誌の科学記者で立ち位置は読者である。

僕は読書しながら眠気に耐え切れずいつのまにか目を閉じて寝落ちする瞬間が好きだ。開いた本を持つ手の筋肉だけが物理的な世界との接点で、あとは本の中の世界が意識の前面にきて夢うつつである。たとえば読んでいるのが小説であれば、半分夢の中にある登場人物は自分の過去を思い出しているようなのと存在感が変わらない。もうろうとしているのだから何でもありで、これは楽しい。さらに、夢は大量の記憶情報を整理整頓する働きがあるというが、読んでいるそばから内容を整理してもいるわけで、いわばリアルタイム睡眠学習みたいなもんである。しかし、さすがに量子の話だけは妄想も膨らみようがない。


…われわれが理解できていないことはあまりにも多い。到底目には見えないたった1000個の原子でも、1000ビットの長さの数をすべて表現できる。これを10進数に変換してみよう。2の1000乗は、ほぼ10の301乗に等しい。したがって量子的重ね合わせを使えば、0から9,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999 までの数をすべて同時に表現できることになる。なんらかのアルゴリズムを走らせれば、10の301乗通りの計算をすべて同時に処理できるのだ。しかし考えてほしい。この数は宇宙に存在する素粒子の総数よりはるかに大きい。するとこの計算は、いったいどこで行われているのだろうか?
 この分野の草分けである理論科学者のデイヴィッド・ドイチェは、その答えは単純だと信じている。並行して行われる計算はそれぞれ、別々の宇宙で実行されているというのだ。…



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量子コンピュータとは何か (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)
水谷 淳
早川書房 2009-12-09
おすすめ平均 star
star現在のコンピュータロジックの延長上にないのが新鮮です
star量子コンピューターには何が出来ないか?
star「サイエンスライターが如何に量子コンピューターを理解したか?」が辿れる"入門書"




『リックの量子世界』 ディヴィッド・アンブローズ

リックの量子世界 (創元SF文庫)
パラレルワールドのあちら側とこちら側で世界が微妙に異なっていて、主人公も名前が違ってしまっているのだが、文中で「ぼく」として語られる話がときどきどっちのものか、読む方も分からなくなってしまうのは、作者も狙ってやっているのだろうか。

病気の名前でいってしまえば、統合失調症や多重人格障害ということだが、結局のところ、誰もが気は確かで正常だったのだから、処女作でこれは力技というかそういう迫力があった。いや、ありえないようなことが小説の中では事実として起きているのだからそういうことなのだが、ひょっとしたらエマも含めて気がおかしくなってしまったのかもしれないが、それはうがった見方か。量子論では多世界解釈というのもれっきとした仮説のひとつとしてあるのだから。




『学問』 山田詠美

学問
迷いや煩悩ばかりのこの世の向こう岸側を「彼岸」という。頭が真っ白な快楽に浸っている状態は、煩悩を全く忘れているという意味では彼岸に達した状態だ。ただ、コトが終われば可及的速やかに元の現生活に戻る一時的な状態なので悟りというものではない。生物としては敵から狙われやすいハイリスクな交尾の状態から早く戻ろうとするのは正しいことだ。

サルやネコ科といった生態系の頂点で生存リスクにさらされない動物の発情期というのは、それはもうヤりまくりである。人間だけがそれを抑えこんだ集団生活をしているといってもいいかもれしない。だが、人間だって簡単にそれを抑えているわけではない。いやむしろ抑えているだけ、人生の全てを投げ打ってまで性的な衝動に突進してわいせつ事件を起こす輩の数をみるにつけ、否が応にも「彼岸的な快楽」への欲求は高まってしまうのだろう。

たぶん多くの人は思春期に色んな冒険を体験し、その経験をもって人間としての集団生活に収まるのだろうが、とりわけ女性の場合、男のようにあけすけに話し合うこともなければ、そういう商品や商売もないとか、その他文化的な理由もあってそれは個人の秘密になることが多いのだろうか?

主人公の仁美もそんな一人である。本人は「儀式」であると考えていて、まだ幼年期といっていい時期から自分の冒険的行為によって獲得したその儀式的な営みは、少し大きくなって耳にするエッチな情報と合致させることさえままならない。そんな女性の科白として、ごく抑制の効いた文章で綴られるので、それがまたたまらない感じになってしまうのだ。

タイトルが「学問」となっている理由はわからないままだったが、死とセックスはどうしても繋がるテーマのようで、これはごく普通の人が思春期の冒険を通じて人生を全うするまでの物語だ。のはずだ。というのは、後半は普通の人がそうであるように、セックスから死へは動物のように一直線の物語ではなく、もはや性が冒険ではなくなった「大人」の長い人生が待っているのだから。平凡な人生を題材とした小説で死とセックスを描くのは難しい。いやむしろ、主人公たちが実際経験するセックスが全くポルノ的ではないのだ。それを期待する向きにはがっかりするだろうが、実際の多くの人にとってはリアルで、それぞれ各自の冒険を思い出して噛み締めるには都合がいいのかもしれない。



『ハッカーと画家』ポール・グレアム

「ハッカー」といえば一昔前まではコンピューターに侵入して犯罪する人という意味だった。頭が良く、人を出し抜くのが好きでいわゆる大人の世界のことには無邪気であろうとするくせに、(アメリカの)現代における大富豪といえばハッカーだという-そんなハッカーとは、いったいどういう人種なのかというのを、ハッカー自身が書いたのがこの本だ。オンラインショッピングサイトといえば今では当たり前だが、最初に作った著者のベンチャーがヤフーから巨額の買収金をせしめたという。それはITベンチャーのビジネスモデルにもなった。

グーグルで働いてるけど何か質問ある?で薦められていたので読んでみたのだが、各章の多くはオンラインのポール・グレアムのエッセイと和訳一覧で読むこともできてしまう。訳者のShiroさんの翻訳もステキだ。Amazonでも1位にランクしたようだ。ポール・グレアム氏の動画はNHKのサイトNHKスペシャル デジタルネイティブで伺うことができる。

僕はこれを呼んで脳に電気が点きまくりで、書きたくなることも山ほどあるんだけど、それらは、今の自分に照らし合わせてみればほとんどグチみたいなネットのゴミになってしまうので控えよう。一箇所引用するのは、えここ?と思われるかもしれないけど、p34のこの一説だ。少年時代の自分に会って何を一番伝えたくなったかといえばこれだったから。

私は子供のころ、いつも、人の身になってものを考えなさいと教えられた。実際にはそう言われるときはいつでも、自分のしたいことじゃなくて他人の望むことをしなさい、という意味だった。だから共感なんてつまらないものだと思って私はそれを磨こうとはしなかった。
 だが、なんてこった。私は間違っていたんだ。他人の身になってものを見るというのは、本当は成功の秘密だったんだ。それは自己犠牲を意味するとは限らない。他の人のものの見方を理解したからって、その人の利益のために行動しなくちゃならないとは限らないんだ。

共感能力は、おそらく良いハッカーと偉大なハッカーの、たったひとつの最も重要な違いだろう。



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ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち
Paul Graham
オーム社 2005-01
おすすめ平均 star
starハッカーの恍惚に溢れるエッセイ集
star案外、歴史的書物かもしれない




『つきはぎだらけの脳と心』 脳の進化はいかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?

つきはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?

 脳がいかにいきあたりばったりで進化してきたかがよく分かった。
 感想も書くつもりだったが、頭がまだ整理されない。
 何度か睡眠すれば、本書のいう夢の機能でまとまってくるのかな?


p322 図9-2
愛情、記憶、夢、神は、脳に対する進化上の制約から生じた (この表は本書で述べてきたことの要約になっている。

[脳の設計の進化上の制約]
  1. 脳をゼロから設計し直すことはできない。必ず既存のものに新たな部分を付け加える、 という方法を取らなくてはならない。
  2. 脳にいったん持たせてしまった機能を「オフ」にするのは非常に難しい。 たとえ、その機能が負の効果をもたらすような状況でも、なかなか「オフ」にはできない。
  3. 脳の基本をなすプロセッサであるニューロンは処理速度が遅く、信頼性も低く、 信号の周波数帯域も狭い。
脳に高い処理能力を持たせるには、ネットワークを複雑にし、サイズを大きくしなくてはならない。
そのため、誕生時、胎内で十分に成熟してしまうと、産道を通り抜けられなくなる。
500兆のシナプスを持つネットワークは
あまりにも複雑すぎ、その構造を全て
ゲノムで指定することは不可能。
人間の子供は、脳が非常に未熟な状
態で生まれて来ざるを得ない。
 
脳内のネットワークの構造の多くの部分が、
経験によって決まる。
人間の子供時代は長く、長期にわたり、
親からの様々な援助を必要とする。
経験によってニューロンの配線を決める仕組みは
成長後も残り、少し修正されて記憶の蓄積に
使われる。[記憶]
人間は、排卵周期のどの時期でも性交し、
長期にわたり夫婦関係を維持する。
[愛情]
記憶を有用なものにするためには、古い記憶と
新しい記憶の統合や、感情との関連付けが必要。
記憶の統合、定着は、夜間、感覚情報があまり
入ってこない睡眠中に行うのが最良。
非論理的で、奇想天外な物語が
夢の中で展開される。[夢]
左脳の物語作成機能は常にオンになっており、わずかな知覚、記憶の断片をつなぎあわせて物語を
作ろうとする。その物語は夢の中などで、時に超自然的なものになる。これが宗教的観念を生む。[神]
































while(aho.atEndofStream)

笹部 政宏
笹部 政宏
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