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自転車と本とJS
p72亡国とは、黙って静かに生きてきた末に訪れる現象ではない。強風にあおられた波が前後左右にぶつかっては泡立つように、社会がコントロールもなく流動し合った末に行きつく結末だ。
p135「共同体」(res publica)と「個人」(privatus)の利害が合致しなくなることも、末期症状の一つである。公共心も、個人が、自分の利害と自分が属す共同体の利害は連動する、と思えた場合に発揮されるのである。
人間には、絶対に譲れない一線というものがある。それは各自各様なものであるために客観性はなく、ゆえに法律で律することもできなければ、宗教で教えることもできない。一人ひとりが自分にとって良しとする生き方であって,万人共通の真理を探求する哲学ではない。ラテン語ならば「スティルス」(stilus)だが、イタリア語の「スティーレ」であり、英語の「スタイル」である。
人類の歴史は、悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、善意あふれる動機ではじめられたことの失敗例で、おおかた埋まっている。
…つまり、本音は脱税にある、聖職者コースへの転出である。キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝と息子のコンスタンティウス帝の二人によって、キリスト教会に属する聖職者は免税と決まった。地方自治体の有力者層が、雪崩を打ってキリスト教化した真因は、これにあったのだ。しかも後期のローマ帝国は、兵士と行政官僚の数を倍増している。そのうえ教会関係者という、非課税の階層を作ってしまった…
この状態でもなお、皇帝は税制を変えない。その皇帝から税の減収の穴埋めを迫られた官僚が、特別税や付加税の名目をつくっては税を集めるようになったのも当然の帰結だった。
…ユリアヌスのところに官僚が持ってきた税の増収案も、いつものように官僚たちの頭がひねりだした、名称だけはもっともらしい特別税だった。しかもかれらは、ガリアの安全が保障されなかった時期の余波でブリタニアからの税収も入ってこなくなり、この窮状を打破するには増税しかないと、副帝の彼に承認を迫ったのである。
しかしユリアヌスは、決然とそれを拒否した。そして、次の二つの政策をただちに実施するよう命じたのである。
第一は、出費の無駄の解消とと既存の費用の節約。無駄はあらゆるところにあった。…
第二の政策は、税の徴収の公正。地位の高い者や富裕者には甘く低所得層には厳しくなりがちだった徴税執行者による手加減を、厳しく罰することで牽制したのだった。
政策の第三だが、特別税による増税どころか、既存の税の減税を命じたのである。税の減収の主因は、蛮族の侵略によって破壊されたガリアの東半分の生産性の低下にあった。それなのに新しい特別税を課したりして増税すれば、蛮族の撃退には成功して平和がもどっても,それはこの地方の活性化にはつながらなくなる、というのがユリアヌスの考えである。…
ユリアヌスによる減税は「人頭税」と呼ばれていた税で早くも実行に移され、それがこれまでは25ソリドゥスであったのが7ソリドゥスにまで引き下げられたという。
「何でも買える額だけど、何も変えない額さ」
それがムチャクチャ気持ちいいというか、物凄い快感を与えてくれるのだ。突き抜けた結果、聖人君子のようになるという意味でもなく、なんというか、欲から解放されて、欲そのものと一体になれるというか、うーん、やっぱり言葉にするのは難しい。
でも僕は自分の感じた気持ちをできるだけ多くの人と共感したかった。
あれ、すげえんだぜ。
それをなんとか、みんなに知ってほしかった。
じゃあ、どうするか? 僕が体験した世界を読者に追体験してもらう
2001年にホワイトハウスを離れた後、ほどなくしてグーグルのコンサルタント兼アドバイザーとなった元副大統領のアル・ゴアは、グーグルの"優れた価値観"について好んで言及する。こうした価値観は他の企業にも広がっていると、私に語ったことがある。「グーグルの成功は独自のアルゴリズムや、"収穫逓増の法則"によるものだと考える人は、グーグルが従業員の能力開発や職場としての魅力を高めることに如何に努力をしているかを理解していない。だからこそ、グーグルには抜群に優秀な人材が集結してきているのだ」と彼は指摘する。トップレベルの技術系大学院は、毎年ひとにぎりの天才的な人材を送り出すが、グーグルが「最も才能ある人材を、企業規模に対して不釣合いなほど多く」獲得できるのは、彼らに照準をあわせているからだとゴアは理解している「私自身、グーグルに頼まれて大学の幹部に電話したことがある」と話すゴアは、こう付け加える「重要なのは、質の高い従業員の採用やつなぎとめだけではない。コミュニティの価値観や、より良い世界を作ろうとする企業姿勢だ。人は単に自分の収入や企業の業績や利益のためだけに働いているのではないと感じたとき、内に秘めた創造力を大いに発揮するものだ。自分のやっている仕事は世界をより良い場所にするためのものだと自覚するのは、単に気持ちがよいといった類のことではない」(p43)
イスラエル出身の著名な指揮者であるタルガムは、しわの目立つ綿のポロシャツの上にセーターをはおり、まばらな髪の毛はボサボサという風貌で半円形のステージに現れた。それでも「指揮と革新的な経営の共通点」という30分にわたるスピーチは、確実に聴衆の心をとらえた。
「音楽は本来、"雑音"に過ぎません」とタルガムは語りだした。「大勢の人々の音を一つにまとめること、それが指揮者の仕事です。」今世紀の指揮者のうち五人を挙げいずれも傑出した才能があったが、真に革新的と言えるのは二人だけだという。
照明が落ちると、大型スクリーンには威圧的なリッカルド・ムーティの映像が流れた。いかめしい表情と、ロボットのような指揮棒の動きはオーケストラから"喜び"を奪い、個々の演奏家の成長を妨げた、とタルガムは話す。「ムーティは絶対に表情を変えない。全員に何をすべきか伝える、徹底した管理主義者だ」と話した。
二人目の指揮者はリヒャルト・シュトラウスで、機械的に腕を動かす様子は心ここにあらずといった雰囲気だった。オーケストラには自由を与えたが、権威はなく、インスピレーションも与えなかった。三人目はヘルベルト・フォン・カラヤンだった。決してオーケストラを見ようとせず、インスピレーションを与えることもなかった。
四人目はカルロス・クライバーで、指揮をする表情は歓喜に溢れていた。「クライバーは全体の流れを創り出す。奏者に自由な感覚を与えながら、権威もあった」とタルガムは説明する。「彼が目でソリストに不満を伝える様を見れば、それが良く分かる」
最後に自分の最も好きな指揮者をしょうかいした。スクリーンにはレナード・バーンスタインが、オーケストラを舞台に迎え入れる様子が映し出された。オーケストラはストラビンスキーの『春の祭典』を演奏するため、世界中から集まった高校生だった。練習初日、即席オーケストラの音はまったく合わなかった。それでもバーンスタインは"権威"を振りかざそうと指揮棒を振ってはいない、とタルガムは指摘した。
バーンスタインは演奏を止め、ストラビンスキーが表現しようとした感覚、春の草の香りや目覚め始めた動物たちについて高校生たちに語りかけた。「バーンスタインは『世界は君たちが考えているより、ずっと広いんだ』と教えることで、生徒たちに力を与えようとしている」
場面は一週間後に変わり、高校生のオーケストラは、一心不乱にバーンスタインを見つめていた。バーンスタインは美しいハーモニーを奏でるようになった彼らに、明らかに満足げな表情を浮かべていた。
彼は指揮棒も持たず、腕組みをしたまま、表情を動かすだけで指揮をした。低音のコントラバスに指示を出すときには頭を低くして口元を結び、高温のバイオリンには眉を上げてサインを送り、ホルンにはうなずいて見せた。そしてフィナーレでは満面の笑みを浮かべた。
その光景の意味をタルガムが説明する必要はなかった。卓越したリーダーが部下をどのように開放するものかを示す、すばらしい経営セミナーだった。バーンスタインはボスではあったが、独裁者ではなかった。オーケストラのメンバーの最良の部分を引き出し、それぞれをコミュニティの一員としたのだ。(p429-)
という読者への謎かけに僕も答えてみよう。ヒントは、この本のタイトルはなぜ「99.9%」なのかということだそうである。そもそも、「質問には答えがある」というのも仮説にすぎず、答えなどはじめからなにもないかもしれない、とも続いている。「すべては仮説にはじまり、仮説におわる」というわたしの科学的な主張は、はたして反証可能でしょうか?
- 見たり聞いたりできているか、誰かに目と耳をチェックしてもらいましたか?
- 色が判別できますか?
- 三次元を知覚できますか?
- 時間についての何らかの感覚がありますか?
- からだのすべての部分を、自分のものだと確認できますか?
- 背景の雑音から、声を判別できますか?
- 食べ物を手にとることができますか?手で容器を開けられますか?自分で食べる力と器用さがありますか?
- 快適ですか?充分に暖かいですか?喉が乾いていますか?痛いですか?
- 感覚的な刺激(光や音)に対して敏感すぎていませんか?もし「敏感すぎる」なら、眠れるように耳栓を持ってきて、そして目を開けていられるようにサングラスをかけて。
- 順序立てて考えられますか?靴下と靴が何であるか分かりますか?靴の前に、靴下をはくという作業が理解できますか?
…われわれが理解できていないことはあまりにも多い。到底目には見えないたった1000個の原子でも、1000ビットの長さの数をすべて表現できる。これを10進数に変換してみよう。2の1000乗は、ほぼ10の301乗に等しい。したがって量子的重ね合わせを使えば、0から9,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999,999 までの数をすべて同時に表現できることになる。なんらかのアルゴリズムを走らせれば、10の301乗通りの計算をすべて同時に処理できるのだ。しかし考えてほしい。この数は宇宙に存在する素粒子の総数よりはるかに大きい。するとこの計算は、いったいどこで行われているのだろうか?
この分野の草分けである理論科学者のデイヴィッド・ドイチェは、その答えは単純だと信じている。並行して行われる計算はそれぞれ、別々の宇宙で実行されているというのだ。…
私は子供のころ、いつも、人の身になってものを考えなさいと教えられた。実際にはそう言われるときはいつでも、自分のしたいことじゃなくて他人の望むことをしなさい、という意味だった。だから共感なんてつまらないものだと思って私はそれを磨こうとはしなかった。
だが、なんてこった。私は間違っていたんだ。他人の身になってものを見るというのは、本当は成功の秘密だったんだ。それは自己犠牲を意味するとは限らない。他の人のものの見方を理解したからって、その人の利益のために行動しなくちゃならないとは限らないんだ。
…
共感能力は、おそらく良いハッカーと偉大なハッカーの、たったひとつの最も重要な違いだろう。
[脳の設計の進化上の制約]
- 脳をゼロから設計し直すことはできない。必ず既存のものに新たな部分を付け加える、 という方法を取らなくてはならない。
- 脳にいったん持たせてしまった機能を「オフ」にするのは非常に難しい。 たとえ、その機能が負の効果をもたらすような状況でも、なかなか「オフ」にはできない。
- 脳の基本をなすプロセッサであるニューロンは処理速度が遅く、信頼性も低く、 信号の周波数帯域も狭い。
▼脳に高い処理能力を持たせるには、ネットワークを複雑にし、サイズを大きくしなくてはならない。 そのため、誕生時、胎内で十分に成熟してしまうと、産道を通り抜けられなくなる。▼▼500兆のシナプスを持つネットワークは あまりにも複雑すぎ、その構造を全て ゲノムで指定することは不可能。人間の子供は、脳が非常に未熟な状 態で生まれて来ざるを得ない。▼▼脳内のネットワークの構造の多くの部分が、 経験によって決まる。人間の子供時代は長く、長期にわたり、 親からの様々な援助を必要とする。▼▼経験によってニューロンの配線を決める仕組みは 成長後も残り、少し修正されて記憶の蓄積に 使われる。[記憶]人間は、排卵周期のどの時期でも性交し、 長期にわたり夫婦関係を維持する。 [愛情]▼記憶を有用なものにするためには、古い記憶と 新しい記憶の統合や、感情との関連付けが必要。 記憶の統合、定着は、夜間、感覚情報があまり 入ってこない睡眠中に行うのが最良。▼非論理的で、奇想天外な物語が 夢の中で展開される。[夢]▼左脳の物語作成機能は常にオンになっており、わずかな知覚、記憶の断片をつなぎあわせて物語を 作ろうとする。その物語は夢の中などで、時に超自然的なものになる。これが宗教的観念を生む。[神]