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ver1.5.4

JQueryが1.2.6にバージョンアップしていたので更新。
uiのほうは結構変わっているようだが動作確認のみ。
mouse.jsとかdimension.jsを個別に読み込む必要があったが、
jquery.ui.all.jsを読み込んでおけばまとめてokなようだ。

mirrorMan本体は、ドラッグオーバー時の反転表示をしなくなっていたのを修正。

ObjectタグでShell.FolderViewに接続してEnumDoneイベントを受け取れば、
mirrorManからでないフォルダ内の更新時にも画面更新できそうだが、今だにやり方がわからない…


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『カラマーゾフの兄弟』@お台場

GoogleEarthでコンテナ埠頭に近づける場所はと探すと、お台場に発見。海浜公園と埠頭続きになって、ガントリークレーンがずらりと並んでいる。お台場へは皇居と日比谷公園の間の交差点を東へ一本道。途中の青梅海浜公園?でおばさんたちが何やら木に群がっている。木イチゴがいっぱいなっていた。一つむしって食べる。懐かしい味。ジャムにすると美味しそうだが、一人なのでやめる。でも帰ってきてちょっと後悔。フジテレビのある砂浜側の公園にも一本あったようだが、たくさんの人がいても誰も見向きもしていなかった。


台場公園に登る。100年前に欧米列強の黒船から江戸湾を守っていた幕府の砲台(砲身はたしか靖国神社の遊就館に展示してあった)に自転車を装着してみる。かつての列強国イギリスと日本との合作の自転車が、100年以上の時を経て東京湾を見つめる哀愁漂う後ろ姿、何かを物語っているような、気がしないでもない。いや、そんな思いに浸る間もなく、前に座っているカップルに変な視線を向けられそうなのでとっとと片付ける。

ドストエフスキーの最高傑作といわれる『カラマーゾフの兄弟』、読みやすい新訳が出て、ちょうど現在の日本を風刺したかのようで面白いと評判になり増刷に増刷を重ねて云々というので四部とも大人買いしていたのを、砂浜で読み始む。まだ一部と二部の少しまでしか読んでないが、現時点ではちっとも面白くない。登場人物は男も女も長いセリフをまくしたてる頭のおかしいのばかりで、事件や出来事が一体どう落ちがついているのかさっぱりわからない。


帰りに東池袋の新装なった大勝軒の前を通ったら、腹が減ってるのに気がついてUターンして自転車を前に止める。券売機の横で店の外を向いて座っているなんか変なおじいさんがこっちを見てると思ったら、あの名物主人の山岸さんだった。
タオルのはちまきではなくて普通のぼうしだったので気づかなかった。しゃがれた張りのない声でいらっしゃいと客に声をかけている。ただのじいさんならむしろ営業妨害に近いが、あのおじさんの場合は別だ。化学調味料ドバドバスープつけ麺の元祖的な店だというのを聞いて、なんか味の素の味がしそうな気がして今まで食べたことなかった。「もり」を注文する。海苔が貴重品だった江戸時代、ソバ屋で「ざるそば」といえば海苔なし、「もりそば」といえば海苔ありだったそうだが、そんなことを思い出しながら待つと「海苔」ありのスープがきて麺もしっかり冷えてる。どんぶり山もりの量に怖気づいたが、つるつると軽くて中華麺の加水くささもない。めんを浸す量でうまく味の調整ができて普通にうまくて完食。この感覚はたしかにざるそばを食べるときのよう。評判はあてにしてみるもの!『カラマーゾフの兄弟』もきっとこれから面白くなっていくのだと、気持ちもあらたに店を出る。


カスク

rin projectのカスク。
casqueとはフランス語で、英語でいうヘルメット。日本語なら兜。
これはいわゆるハードシェルではなく軟体絶滅危惧種。
低反発で硬めの衝撃吸収材が入っている。

とりあえずかぶってみる。かなり軽い。
生頭には絶対無理な勢いでパンチを入れてみる。ほー、壁に頭突き。

脳がボワンと揺れて意識レベルが低下しそうである。
バイクの半キャップでもやったことがあるが、
そういうハードシェルのように球面で衝撃を受けることはできず、当たった場所からズシンとくる。
頭のおかしい人みたいだが、実際頭がおかしくなるときのためだ。

しかし、かぶったときの軽さ、違和感のなさは予想以上にすばらしい。


『That’s Moulton』


機械の性能の観点からいえば、タイヤが小さいというのはデメリットばかりである。これを読んでもその気持ちは変わらない。ただ、モールトン博士の設計基準は四十数年間ずーっと一貫している。すごいことだ。


*小径の高圧タイヤ
*前後サスペンション
*男女兼用オープンフレーム
*フレーム分割機能のオプション設定
*前後とも車輪の上に荷物を置ける

さらに、「あらゆる条件下での使用に優れる」ものとして、トラックレースを制覇したり、最高速度記録を樹立したり、大陸縦断走行を達成したりした。それでも結果としては、小径自転車はあらゆる場面でマイナーな存在のままである。だから、数々のモールトン礼賛も私の頭の中では「…だけど」がついてしまう。

ある程度の速度で走ってダイレクトで楽しい操舵感を得られるセッティングにするなら、低速でのハンドルはふらふらと不安定にならざるを得ない。それに道路の段差や溝を乗り越えるときはハンドルをとられないように倍くらい気を使う。ロードバイクと同じスピードで走るなら、車輪がより多く回転しているぶん、車軸ハブの抵抗を受け、回転の遠心力が小さくて回転モーメントが低く、慣性での回転を維持できないから、それらのぶんを足で漕がなくてはならない。同じ力なら巡航速度はおおよそ5km/hほど下がるらしい。

雑誌記事にするなら十年分くらいのボリュームがあるんじゃないかといわれる『ロードバイクの科学』を読んでも、自転車に性能を求めるなら小径車はあり得ないというほど小径車には触れられていない。

もちろん現在の博士も、「あらゆる条件下で優れる」とは一言もいっていない。しかし、こうした理念の自転車のルネサンスがとくに日本にみられるという。たしかに、他にないメリットがなければこんなには受け入れられるはずがない。ベラボーに高い価格とブランドだけなら、ブリヂストンも共同開発なんて手は出さなかっただろう。それは実際に乗ってみなければわからないし、何になるかはその人それぞれだ。

たとえば道で犬とすれ違うとき、大型犬と小型犬では無意識にしても気の使い方が違う。
車でも大型車と軽自動車とでは違う。自転車についても同じことがいえる。タイヤの小さい自転車はローインパクトだ。すれ違う相手がおばあさんや子供だったりならなおさら、自分が与えるインパクトが小さければ気持ちも軽い。
かと思えば、40km/h以上出して走ってもウソのように安定してちっとも怖くない。
むしろもっと踏めといわれているような気までするのは、大きいタイヤでもママチャリやMTBでは絶対なかった。自転車で100km走るなんてのもあり得ないと思っていた。でも買ってすぐの休日に1日で走ってしまった。そしてフラフラになった帰りに池袋のJ'sでパーツを買い、繁華街の人混みの中をぬってゆっくり走ってもこの自転車は回りにローインパクトだった。

博士のいうルネサンスが何かは明言されないし、それは乗り人それぞれが受け取るものなのだろうが、私にとってそれは、「所有する喜びがあり、長距離でも短距離でもどんな乗り方でも楽しいもの」という博士の言葉どおりのものだった。ああ、結局自分も礼賛者の一人になってしまった。



『コンテナ物語』@台場


『コンテナ物語ー世界を変えたのは「箱」の発明だった』404 Blog Not Foundの書評でぽちった。読み始めて、404氏の表現が大げさであることを理解したので、javascriptでコメント欄に匿名でひやかしていたら、秋葉原の事件が起きてぞっとしてしまった。

ネットで名無しで行動するのはえてして、実名や肩書ありでは話せない本音の内容だったりする。M.S(イニシャル)は淫乱だからこの携帯に電話しるとか、顔に出して行動できないが思ってはいること、トイレの落書き。秋葉原の犯人のように、親に仮面をかぶせられながら大人になって社会に適合ができず、携帯の掲示板で本性むきだしにして最後は現実の秋葉原で爆発終了しまうなんて、名無しの匿名と現実社会での実名、どっちが仮面だか本人にも区別できなくなっていったんじゃないだろうかという気もする。

個人のレベルから話を広げれば、本音と建前の使い分けに整合性がなくなっているのは企業も同じだ。役人やマスコミ記者が居酒屋で後日談して表に出ない話がネットで広まり、不祥事を隠しきれなくてあとから謝罪したり、あるいは犯罪予告の掲示板書き込みを警察が把握しなくてはとITゼネコンが数億円の見積もりを上げたと同時に、十分使える予告.inが話題になって役人仕事意味ねーってなったりするのは、ITゼネコンの中の人よりスキルのある人が外にうじゃうじゃいて看板の建前が通用しなくなっているからだ。

そういった情報社会の『フラット化する世界』が物流でも起きているというのが、404氏書評のこの『コンテナ物語』。コンテナの登場前、船での輸送は国家が運営する鉄道輸送と同じで、役人が協議して秩序を決めるシステムの中にあった。それが、スーパーに並ぶ世界中の食材からユニクロの500円Tシャツ、日本中の木造住宅の杉の柱まで、コンテナに詰め込んでタンカーで運び、港では中も開けずクレーンでトレーラーに積みかえては運び出すようになり、これで人々の消費生活レベルがフラット化していった。本書ではバービー人形にたとえている。アメリカの綿花が中国で生地になりインドネシアで服にして、日本で髪の毛をつけて世界中に運ばれ、親の収入の数千、数万分の1の値段で販売することができて世界中のより多くの女の子がハッピーになったというわけである。別の意味でいうと、ニートという人種も、月10万以下の日雇い派遣がなんとか食べていけてるのも、コンテナ輸送のおかげともいえる。

コンテナ輸送化により、多くの港湾都市や業界企業、団体の衰退絶滅がこの本では詳述されているが、同じような変化が今後も他の経済分野に及んでいくのだろうと思う。とくにIT業界での人材の流通では、予告.inがひとつの浮き彫りとなっているかもしれない。熱心にやれば立派に金を稼ぐはずの五体満足健康体の数十万人の成人ニートが、就労人口の一定のシェアを占めてしまっているというのは、何らかの社会構造が不適合をきたしているしるしだろうと思う。そんな人たちもフィットする、活用できるような形の産業構造になっていかないと、日本という国自体が人材や組織のコンテナ輸送からスルーされてニート化していくことになるかもしれない。

以前に世界の人口が100人だったらという例え話が流行ったが、経済的な幸福や不幸はゼロサムゲームで、お金の価格に換算された富はどこからともなく湧いて増えるわけではない。価格は常にモノの希少性とそれを欲しがる人の数の競争の結果が反映されている。ただ、コンテナ輸送のようにモノの値段全体をズドンと下げて誰もが幸福度を上げるような技術の場合は別だ。アメリカでコンテナ輸送が盛んになった60年代後半から80年代にかけては、日本も船会社をはじめ霞が関もアメリカの状況をよく観察し、港、船、鉄道、トラックと一度にシステムを変更しないと効果の出ない改革が、アメリカで確認されるやいなやタイミングよく莫大な予算を投入して実行されたとこの本でも言及されている。アメリカという実験地があり、日本が追いかけるべきグランドデザインが議論の余地もなく見えていれば、政官財の癒着構造もむしろ日本の誇れるやり方であり、効率のいいシステムだ。
しかし、政官財のトライアングルは、グランドデザインを自分で描いていたわけではない。だから新しい技術の種をまいて芽を育てることなんてできない。にもかかわらず、大企業の金看板とその業界団体、またそれらからキックバックを受ける政治家と役人のシステムは解体されない。その結果、トライアングルの目の届かないところで吹いた新芽を自ら踏み潰し、残るは荒地のみとなってしまいそうなら、自分が負け犬になる理由が納得できない狂犬の牙が秋葉原の次はそっちに向かってしまい、キナ臭い時代になっていってももうしょうがないのかもしれない。

最終章の「コンテナの未来」で著者は次のことばを引いている。
「あらゆる変化は誰かをより幸福にし、その分ほかの誰かを不幸にする」 (経済史家ジョエル・モキルという人)




Jagwire

ールドメッシュのシフトアウター。
インナーケーブルの動きの軽さはシマノSISのやや勝ち。

シマノ恐るべし。

そもそも金属メッシュのアウターは、油圧ケーブルの油圧による膨張を防ぐためのものだったと記憶している。むろん、モーターバイクの世界でもその効果よりは見た目で勝負のアフターパーツで、やれディスクブレーキがカチッっと効くようになっただのとの意見もあるが、多くの一般ユーザーが数万円のコストを払うのは見た目ゆえだと思う。



これの場合、中を通っているのはオイルではなく、シフトチェンジの一定の力ででカチカチと数mm動くだけのワイヤーである。そこにメッシュなのだ。もはや意味すらよくわからない。

モールトン的な風情にとくにこだわりがあるわけでもないが、Jagwireはアメリカのメーカーだ。もうその行為の意味があるかないかより、見た瞬間のインパクトに意味を見出すアメリカンな趣味の世界かもしれない。

調子にのって、チューブのバルブキャップもアルミのオレンジ色にしてみた。

ゴールドカラーのシリーズもここまでくるとなんだかいやらしくなってきた。もうおしまい。


jockey-wheels

KCNCのjockey-wheelsをつけてみようと思った。
CNCアルミ加工でシールドベアリング。
肉抜きデザイン、ゴールドのアルマイト塗装もきれい。
なんだか、シマノの黒くて味気ない感じがブサイクに見えた。

しかし!なぜシマノは中級モデルでも黒い樹脂製でシールドでないプーリ-を使用しているのか?
むしろそれが不思議だ。外して指ではじいて回してみる。樹脂製で軽いのに、全然勢いよく回るではないか。
jockey-wheelも回してみる。
シールドベアリングらしくなめらかスムーズに回る。ただ、これだけ小さい部品だとグリスの抵抗分か、回転が落ちるのも早い。

そして、手でペダルを回すとジャリジャリ音が大きくなっている。まだギアのエッジが立っているから、少し使ってアタリがつき、オイルも馴染めばましにはなるだろうが、一方でその頃にはチェーンとの摩擦箇所はアルマイト塗装が剥げてアルミの白色が露出し、またオイルの墨汁が付着していることうけあいである。

シマノが105やカプレオでも樹脂製ギアでメタルベアリングを使用しているのは、機能とコストの落としどころがきっとそのあたりにあるのだろう。
樹脂製なら音も静かで軽く回るし、ディレイラーのスプリングがチェーンを張るために引く以外のテンションがかからない、つまり漕ぎ足のトルクを受けない部分なので、摩耗も少ない。だからボールベアリングを使うほどでもないと。

とはいえ、この機械式腕時計の歯車のような雰囲気もなかなか、千円で買って損は感じない。

近所を静かな夜間に10kmくらい走ってみたところ、音は乗っている状態で耳に届くほどでもなかった。まあ一つ1000円で体感できるほどの効果があるなら誰もが装着しているに決まっているが、眺めて悦にいる満足感なら◎だ。なんちゃってなパーツでもないのだし。



『八日目の蝉』@北の丸公園

吉田茂、清水門、北の丸公園

北の丸公園で読み始める。ベンチに疲れたので芝生で寝て読むが、まだペダルを漕ぎ足りなくて体がむずる。
南方向へ。日比谷公園を散策した後、東京タワーの真下までいって、品川まで。坂を登って高輪を走って戻る。ステルビオのタイヤは同じ空気圧でもBSMのそれより確かに柔らかい。シルキーライドとうたうなら、よっぽどこっちのタイヤのような。

近衛師団が出入りする門でもあった清水門から入る。馬が登れるように作られたという階段を自転車をかついで登るのはなんか複雑な気分だ。登りきると吉田茂像が、なんでここに?
太平洋戦争で日本が負けたとき、昭和天皇の退位をとどめ、国民に謝罪するといったときもとめたとあるから、皇室をお守りしたという意味もあるのかなと思った。顔の表情、吉田茂という字の書体、ひっそりと設置された場所といい、天皇によく仕えたという点で共通点はあっても、楠木正成像とはマ逆の感じだ。楠木正成も城攻めにウンコ投げて応戦したというから同じくユーモリストでもあったかもしれないが。

自然体の眞鍋かをりのブログ5/12で、爆笑問題の太田さんに薦められて1日で読破して「なんともな気持になった」とあって読んでみた。
物語は主人公の女性が人の赤ちゃんを盗むところから始まる。もちろんその行為が肯定されているわけではないが、その犯罪に及ぶ主人公の、子を思う母の心は肯定も否定もせずに描かれていく。
主人公はつらい生い立ち云々でと情状酌量の思いを持つこともできないし、読み進むほどに、子を持つ母の意思は法を守る気持ちに勝るのだと、そんなありきたりなオチなわけがないという気がしてくる。公園で風にそよられてのん気に読んでる場合じゃなくなって、帰ってきてしまった。

明治から昭和初期の政治家は女を2,3人囲うのは当たり前だったそうで、現代も中小企業の社長などでは珍しくない。吉田茂も妻の死後に再婚した。スクープされて記者嫌いになり、コップの水を記者にぶっかけたりしたとか。複数の女性を同時に正妻とするのは、天皇だって許されないのが日本だ。
この本に登場するのは「女にだらしない男」ばかりだが、何をもって「だらしない」というのかは、好々爺然とした視線を振り向ける吉田茂像を見ても、「おまえでみつけろ」といわれているような感じだった。



シュワルベ

おちょこ三杯のんでタイヤ交換。
高圧タイヤは空気圧を張ったまま数か月放置していると、
この柔らかい側面がふくらんでタイヤ幅が太くなってしまうそうだ。
ブリヂストンの標準のと比べると確かにサイドの肉厚が薄く柔らかい。

まるで黒い湯葉。

けなげだ。
指で押しても凹まない高圧に耐えながら、
私と自転車を支え、時速数十キロで転がる。

タイヤもみもみ、チューブふにふに。
















ともあれ、17inchで手頃な価格としては唯一の選択肢のこのタイヤ。
標準タイヤよりやや安いが白文字のブランド名は誇らしげで
トレッドもスリックに近い。
乗り味はちょっと柔らかくなった感じがするそうだが、いかがなものか。



『生物と無生物のあいだ』@砧公園

サイクリングコースとABUS

池田信夫blogでみて買った本『生命とは何か』も。このblogのタイトルもシュレーディンガーのヌコ本からとった。

自転車は壊れたらそこを直せば元に戻るが、生物はそうはいかない。
生物には時間がある。受精して分化を始めればもう後戻りはできない。各々のの細胞はそれぞれのメカニズムで分裂していく。そこに設計図を引いた監視者がいて、ミスを発見して統率しているわけではない。途中でここが失敗したからやり直すということができない。やり直しはきかない。

しかし、細胞分裂のDNAの複製時には一定の率でエラーが発生する。そのエラー細胞がさらに分裂を繰り返していけば、ガンとなってしまう。ガンが単に一定の率で発生するものなら、老若を問わず発病するはずである。しかし実際は違う。

ではこの問題を回避し、生命体の秩序を維持しているものは何か。

動的平衡だと本書ではいう。エラーが蓄積する率以上に、どんどん早く入れ替えてしまうのだ。およそ2週間で人体がすっかり入れ替わってしまう新陳代謝によって、我々の体は100年弱もその平衡状態を維持しているのである。つまり、

「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」(p166)のだ。

人生も、誰かとそれを共にするなら似ているかもしれない。
出会いと別れ、家庭生活、子供の成長。どれも後戻りができないものばかりだ。たとえ同じ屋根の下で毎日会話を交わしているとしても、人はそれぞれのメカニズムで人生を送っている。途中でここが失敗したからやり直すということができない。宗教によっては神や仏といった設計者、監視者を信じることで、その苦悩に答えを求めるかもしれないが、私にはこの切なさをそういうものが救ってもらえない。
気になり始めると、人と過ごす10分間にそんなことを感じてしまう。まるで上の写真の砧公園のケヤキの木のように、今ここでこう行動しないと二度と引き返せない枝分かれができてしまうのではというおそれである。

恋愛のことはじめならそこでぷっつり別れてしまうかもしれないが、仕事上での行動や人間関係の衝突ならそうもいかない。人生の後戻り不可能な分岐の危機は実は10分おきに起きていて、

「それが守られるために絶え間なく水に流されなければならない」(オレ)のだ。


刻々と繰り返されるこのメカニズムの衝突と水に流す行為、誰かと何かをともにするなら、まるでエンドレスのような日々に感じられるかもしれない。今日35才になったのも、後戻り不可能な何かに違いない。



ABUS 多関節

080605.jpg
箱を開けて手に持った瞬間に笑いのこみあげる重さ。
目立たないところにと思ったが、バネ下に1kgは乗り心地が大きく変わりそうだ。

盗難にあったときの後悔先に立たずというものの、
性能とデザインに対するこの犠牲は割に合うんだろうか。



mirrorMan

mirrorMan

mirrorManはHTAとJScriptでつくったフリーの2画面ファイラです。

ファイルはローカルで開いて更新したい、でもサーバ上でも最新状態を保ちたい。
でも複数のエクスプローラを開いておくのは邪魔だし、
更新が終わるたびに開きなおすのも面倒です。

そこで、ローカルとサーバのよく使うフォルダのペアをお気に入りとして登録しておき、一発で開きます。
さらにファイルの更新日時を比較し、ファイル名を配色表示します。
ファイルが複数あれば右上の矢印ボタンで一括コピーもします。

PC雑誌の『iP!』や『Windows100%』のフリーウェアライブラリに載りました。
Vectorにも登録してあります。

作者本人にはもう必須のソフトですが、
身の回りで継続して使っている人はあまりいません。
エディタで開けばソースは丸見えですし、どうか使い勝手の悪さをつっこんでください。


while(aho.atEndofStream)

笹部 政宏
笹部 政宏
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