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『オーデュボンの祈り』伊坂幸太郎

オーデュボンの祈り (新潮文庫)
きれいに書かれたプログラムを「エレガント」ということがあるが、その主観的な表現は他人がまねできないことを表現しているようで好きではないが、『死神の精度』のおばあさんの描かれ方はそうだった。
それでこのデビュー作を読んでみた。読んでいていろいろつっこみたくなるところは、心温もる終わり方でどうでもよくなった。

この小説の主人公は伊藤ではなく案山子(かかし)。しゃべる案山子。未来がみえる案山子。


アニメの一休さんでは、人の心をもちながら人としての人生を持てないてるてる坊主のお母さんの存在に子供ながらシュールさを感じていたが、母性というキャラクター設定でそういう面は包み込まれていた。

てるてる坊主のお母さんは一休さんの身に起きたことは全て知っていても自ら手を下すことはないが、この案山子は違う。人と対等に会話し、殺人事件の犯人が誰かを話し、ときには人と衝突しつつも最後には昇華していく物語だ。

「人が人を裁けると思うか」
「思う」これは、僕の本心だった。死刑や刑罰の問題が起きるたびに持ち出される、「人が人を裁いて良いのか」という主張が嫌いだった。何人殺しても死ななくても良い、という法律はすでに、法律じゃない。


僕としては、犯人が刑務所の中にいるのなら、1年後に死のうが40年後に死のうが大して変わらない。それは自分が被害者になってみないと分からないことだけれど、そう思う。

その代わり死刑に値するような犯罪の更正に要する刑期は三千年以上だ。いや、それだと屋久杉より早く死ねるから5千年以上だ。むしろ不老手術を受けてそれくらい自らの罪と向き合ってろと思う。自殺も逃亡、脱獄の一種である。こう思うほうがきっと残酷だし、自らの死をもって人を救うという権利は与えることすら腹が煮える。それはもっとも高みにあることだからだ。案山子の優午のように。

犯罪者が自殺するのとは話が違う?被害者のことが申し訳なくて自決するわけではないから?
それは第三者の目からみた姿であり、本当の姿は不可視である。
ある一人の人間のプロセスが終了してこの世から無くなることではどちらも同じであり、この世に生きる残りの者にとって、それ以外のことは不可視だからだ。
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笹部 政宏
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