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『モーセと一神教』ジークムントフロイト

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)
ツタンカーメンの前の代のファラオ、アメンホテプ四世の頃にエジプトは一神教化されたことがあったそうだ。それを後押しし、側近として仕えていたエジプト人がモーセであり、これが人類史上初の一神教だったというフロイトの仮説である。
そのアメンホテプ四世が死んだ17年後、エジプトは元に戻り、モーセは居場所がなくなった。彼は別の方法でこの理想の実現を行おうとしたという。いわゆる出エジプトである。

古今東西のどんな神や聖人もそれを信仰する人々の暮らし向きとは無関係ではいられない。
よりよい暮らしができるならその民族が別の神を受け入れることは希ではない(p81)。
モーセがユダヤの民を選んだ以外は、だって・・・

歴史を辿れる最も古いエジプトからギリシャ、共和制から共和制の顔があった帝政期までのローマなどの古代文明は多神教である。それまで異なる信仰対象を持っていた人々が勢力内に組み入れられて共通の暮らしをするようになっていけば、これは当然ともいえる。

それら神々の中でも一番人気は、日本人の「オテントサマ」に近いものだと私は勝手に思う。
「オテントサマに怒られますよ」と子供を叱ったりするときのあれ。
一番人気だから生活に一番身近で、つまり世界中あんまり変わらないところの「おてんと様」である。

問題は、その社会で差別や疎外に合う、奴隷的な身分の人たち。
「おてんと様」が味方ですらないので、これはもうどうすることもできない。
母親はなんといって子どもを叱ればよいのだ?

モーセは言った。お前たちは選ばれた民であり、このエジプトを出て、ユダヤの地で十戒を守って暮らすのだと。
・魔術、妖術のたぐい、神仏像の作成はダメ(アンチエジプト的だ)
・死後の世界は無し(神とそれに類する人の永遠の存在)(アンチエジプト的だ)
など。

しかしその後、ユダヤ民族はモーセを殺してしまう。これはキリスト教の白人からユダヤ人が嫌われる理由の一つであるとフロイトも書いており、ユダヤ人である彼自身にとって父親殺しのエディプス・コンプレックスと無関係ではない。(p153あたり)
この本は中盤からフロイトの心理学の理論、心的外傷やセックス、エス(超自我)の話が続き、このあたりは走り読みする。
印象に残ったのはp124

おそらく人間はいつも幼年時代という魔術に支配されているのであって、この幼年時代は、人間にとって、決して公平無私とは言えない記憶によって不満なき至福の時代として映し出されている。

今現在も殺しあっている三兄弟。とくに抱きかかえられた血まみれの子供の写真が目につく。

宗教であろうがなかろうが、殺し合いであろうがなかろうが、
子供を巻き込んで諍い合う必要のあるものは例外なく愚かな考えである。

宗教がもとでそんな殺し合いをしている場所があるなら、平和と博愛精神を唱える宗教者はそれが本当ならガザに行っているべきだ。それが一神教同士のいさかいであっても。
その信仰が幼年時代の消し得ない記憶の合体としてあるとしても、一人の大人として選択している信仰者なら、ガザに行かないことに矛盾を感じてしまうのではないか?内なる信仰心とその外の現実世界との間に心理的なフェンスを感じるのではないか?それはまるでガザを取り囲む壁のようではないか。口だけなら私でも宗教者になれるし、口だけの金看板なら下ろしたほうがいい。

イラク戦争が終わるかと思ったらこれだ。だんご三兄弟が一時期流行したが、一神教三兄弟元気さは度が過ぎる。

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笹部 政宏
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