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『約束された場所で』村上春樹

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)
病は気からというが、先天性のものやガンといった遺伝子のエラーから進行するものではなく、失業のショックで病気になるとか、失恋で気を落として衰弱するなど、病気というのは心の問題と切り離せない。それで医者に診断されて病名を聞かされても、それはもう結果を聞かされたようなもので、自分にとっての原因ではない。

「地下鉄駅の構内でサリンを撒くなんてことをする集団は絶対悪であり、徹底的に取り締まらなければならない」という姿勢も、それはすでに結果であり原因ではないのだ。もちろん、オウム信者たちが、病気でいう先天性異常やガンといったレベルの社会的な疾病であれば、西洋医学的に外科手術で摘出すれば、それで根治である。

今でこそ「マスゴミ」とか「団塊世代のノンワーキングリッチ」とか、社会の仕組みに対する批判的がネットで共有されてもいるが、当時は決してそんなことはなかった。バブルがはじけても社会の仕組みはそのままで、そのシステムからはじかれた人はそういう存在すら認識されることもなかったし、今思えばマスコミの扱い方も相当ヒステリックだった。「こちら側に属せない、存在が許されない連中」というレンズでみられては、尚更意固地になるというものだ。

実際にあんな事件を引き起こしたのは、教祖を含め限られた幹部クラスしか知らないことだったようだ。そういう武闘派的な教義というのは、幹部クラスまで解脱した人間のみ追求するものとされていたようである。だから、一般信者にしてみてば全部まとめて犯罪集団のように見られるのはちょっとまってくれという思いが残ったようだ。そりゃそうだろう。
24時間好きなときに顔を出していい道場で、みんな素の顔でちらし折りをしたりして過ごしている。同じ目的で集まった人たちのゆるやかな連帯感というのは、そこまでは何もオウムに限らず居心地のいいものだろう。そしてみんな新興宗教の門をたたく位だから、自身の心の乾きに対してはハングリーだ。オウムでの暮らしは乾いた世間の生活の中で、心の湿り気と充足感を得られる場所だった。この本のオウム信者の話は読んでいてお腹が空いてくる。ケンタッキーのチキンを3ピース食べた後で、またご飯を一合炊いてのりたまをかけて食べた。本を読んでこんなにお腹が空くのも珍しい。

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笹部 政宏
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