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『わが友マキアヴェッリ』 塩野七生

わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈1〉 (新潮文庫)わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈2〉 (新潮文庫)わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡〈3〉 (新潮文庫)チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)


人生を1本の針金に例えれば、太く短く真っ直ぐなものから細く長くクネクネのものまで、それこそ人の数だけの形があるだろうけど、どの針金にもその人間の支点となるポイントがあると思う。その時そのポイントを生きている当人には、それがその時であることが分からない。僕のその時もまだかもしれないし、あるいはもう過ぎているのかもしれない。

本の冒頭に登場するエピソードを、それを塩野七生さんがマキアヴェッリの「そのとき」と思ったのではないだろうか。後世の人に与えた影響の大きさで彼の人生をソートすれば、世界中の教科書にも載ることになる著作がマキアヴェッリの人生の成果物だし、僕もそう思う。でも、後世のことなんて知らないマキアヴェッリ本人は違うというかもしれない。だって、人生の最期に病で臥せっているとき、それは悔しさを募らせるだけの思い出したくもないことだったかもしれないだろう。あるいは逆に、物事を愉快に笑い飛ばす性質の人だったようだから、おれの人生は結局そういうことだったといって面白おかしく振り返られたのかもしれない。

愛する国家のためにはたらくことほど尊いことはないというマキアヴェッリ。それをファシズムに使ったのは機械化し工業力の規模で争いあった20世紀の国家の人間だ。以降、政治の手練手管というのは国家の歩む道を誤らせかねないよくないものになってしまったが、当人はこの本を読むかぎり、そんなつもりはまったくない。それは、愛する人たちが暮らし大切なものを守る街というものに対しその独立を守るための策であり、フィレンツェなどの都市国家や、フランスやドイツなどの君主国家が乱立していたヨーロッパで、戦争といってもするのは金で雇った傭兵、金の力だけでは国の守りがままならないことから、マキアヴェッリ自身が市民自身が兵として国を守る制度を作っていたほどだ。

そのマキアヴェッリがいたフィレンツェにメディチ家が復帰し、公職をクビになったマキアヴェッリが書いて送った手紙の内容が本の冒頭に紹介されている。人が寝静まった夜中に一人自室で官服を着て、「4時間も時を忘れて過去の偉大な政治家などの公人と(頭の中で)会話を交わしている」というとてもイタイ話だ。著作が書かれたのもこのころからである。教科書に載っているからって、地位も名誉も才能もある人が書き残したんだろうくらいに思っていたらえらい違いだ。そして単なる野心家の情けないエピソードに終わらないのが塩野七生さんの描くマキアヴェッリで、人生を3段階に分けて3分冊とした3巻目に、今度は肖像の写真付きで再度紹介される。肖像の写真が紹介されるのもここが初めてで、まったく憎い構成だ。塩野七生さんが「わが友」とタイトルにつけるほどのマキアヴェッリの洞察力の深さと諧謔がありながら、人生はままならないもんだというのが読みどころとすれば、読む順はマキアヴェッリが実際に外交使として接し、君主のモデルとしたというチェーザレ・ボルジアの『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)』のほうを先に。
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笹部 政宏
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