『世界大不況からの脱出-なぜ恐慌型経済は広がったのか』ポール・クルーグマン

世界大不況からの脱出-なぜ恐慌型経済は広がったのか
本書は1999年に出版されたものの増補改訂版で、
第7章 グリーンスパンのバブル
第8章 影の銀行
第9章 恐慌型経済
の3つが書き下ろし。

しかし「崩壊」とか「危機」とか、経済学(一般人向けの)の話では物騒な言葉が平気で使われるのはなぜなのだろう。たとえば仕事で「プロジェクト崩壊の危機」といえば、文字通りプロジェクトがおじゃんしそうな状態だが、「金融システム崩壊の危機」といったってお金や町の風景がおじゃんしそうというわけではないのに。

学生時代に本や雑誌やNHKの特集番組でバブル崩壊とかマネーの危機などという言葉を目にして、もしや将来本当にどうかなってしまう可能性もあるのかと思ったりしたが、あれから10年20年経ち、別にどうもなっていなければ、むしろ世の中変わらなさ杉だと感じるくらいだ。それなのに、相変わらず壊れるぞ壊れるぞといっているのにはすごく違和感を感じる。

・・・大恐慌の後、アメリカは経済というマシンを理解できるようにあらためて設計し直しているが、それはとにかく大ききな惨事を回避できるのに十分であるはずであった。1930年代、銀行はシステムの一部としてあれほどひどい機能不全に陥ったものの、その後、厳しい規制が課され、強固なセーフティネットによって保護されることになった。他方、30年代に壊滅的な影響をもたらした資本の国際的移動も制限された。金融システムは少し退屈になったが、以前よりも安全になった。
 するとまた金融システムは面白くなり、そして危険にもなった。増大しつつある国際資本移動が、1990年代の壊滅的な金融危機と、2008年のグローバル金融危機に繋がった。また、影の銀行は拡大していたが、それに対応する規制が作られることはなかったため、後の大規模な銀行の取り付け騒ぎに繋がった。その取り付け騒ぎは、閉じられた銀行の扉の外に殺到した群衆によってではなく、コンピュータのマウスの血迷ったクリックによってもたらされたものだった。そしてそれは血迷った群集と同程度の破壊力があった。(p269)

餓死や凍死を恐れてマウスをクリックしまくった人が何人に上ったのかもぜひ調査してもらいたい。それに民主国家はなぜこの危機と規制の無限ループを止めるすべを持たないのかも。人間はそもそも欲望の生き物で他人を信用できないのだからしょうがないとか、世界経済にはそれを牛耳る影の支配者がいてそいつらが好きなように操っているからだとか、そんな話ももう飽き飽きだ。
そして今現在も相変わらず、分けの分からないダウと日経平均の株高と、刷り過ぎのくせに平気で高いドルの意味が全く不明だ。

銀行決算のために年金砲が吹いたから?
日本が護送船団方式に戻ったなんて聞いてないぞ。
ドルをたくさん持っている人が国際基軸通貨から外れるのを許さないから?
で麻生さんは20ヶ国会議でなんか聞いて帰ってくるのか?

どうせ後になってからまた、訳知り顔の経済学者の解説を読むことになることになるのである。




BB交換 TANGE LN-7922


TANGEというブランドの丹下精機製。
Made in Japanだ。
シールドベアリングで、指で回してもクリーミーな回転。
上のシマノBB-LP28はチリチリからゴリゴリになって足でも抵抗を感じ始めていたから楽しみ。
重さは、鉄塊のような上のと比較して3分の2くらい。




右ワンが外れなくて焦る。外れないボルトはじわじわ力を入れるより瞬間的にやるほうが外れやすいが、タイヤとサスがトルクを吸収してしまうのでうまくいかない。
こめかみに血流を集中させて気合をこめてトライしては撤退をくり返すこと数回、足がつっても怒りの矛先は前回締めた自分にしか向けられないので、もう楽しくてしょうがない。







自転車利用と道路に関する意見募集 | 国土交通省・警察庁

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ぼくも回答した。是非。




自転車が変わるかもしれない発明

こ、これはミニベロには不利っぽいですよモールトン博士。
ってのんきな心配してる場合じゃないくらい、本当だったら世の中が変わりそうな発明だ。

開発した発電装置は、円形アルミ板の周縁に磁石のN極、S極を交互に配列した回転体が大きな特徴。その周囲にコの字形の銅線コイルを配置する。始動時には市販モーターの助けを借りて回転体がコイルの間を動き始め、回転速度が増すと、ベルトでつながった別のモーターを回し発電する。

 これまでの計測結果によると、回転速度によっては、始動用モーターの消費電力の100~1000倍程度も発電可能。また始動に必要な電力は400ワットモーターなら乾電池(単3)1本でも足りるという。

 研究所での実証運転では、回転体は最高で毎分1500回転し、直径80センチ(重さ約70キロ)の装置で毎時10~15キロワット、同120センチ装置で毎時500キロワットを発電した。始動時に5・5キロワットのモーターを使った場合、1個100ワットの電球30個を点灯させていて3キロワットを発電できているのに、モーターの消費電力は2・6ワットしかなかった。

発電装置:太陽光や風力より効率良く、電磁力で電力供給--木下さん開発 /神奈川 - 毎日jp(毎日新聞)

申請中の特許というのはこれか
発電装置用コイル





『陽気なギャングが地球を回す』伊坂 幸太郎

陽気なギャングが地球を回す (祥伝社文庫)

動線に接した角地という一等地の書架はジュンク堂本店にもいくつかあるが、伊坂幸太郎の作品もけっこう長く並べられている。
その中でも一番派手な表紙だったが一番退屈だった。昼飯の後の休憩時間に氏の登場人物に触れるなら『死神の精度』はもったいないがこれなら軽くてちょうどいい。





「ふん」と鼻を鳴らし、かまわずに続けた。「強いだとか、弱いだとかは、何によって決まるんだ?草原での噛みつきあい、空中戦、それとも学歴、遺伝子の配列か?弱肉強食とほざいているおまえの友達は自分より強い奴に殺されることを良しとしているのか?身体の頑丈さや足の丈夫さで決まるって言うんだったら、慎一、おまえは今から四輪駆動の車に乗って、そいつらをはねてくればいい。『パジェロに潰される弱い奴らは死ぬのが当然だ』と教えてやれ」
「滅茶苦茶だなあ」久遠が呆れる。







東京都庭園美術館






出た!じゃなくて閉じ込められてるよ
あーて顔がええ











昭和8年築の朝香宮邸をそのまま美術館としたもの。
50cmはあろうかという壁の厚み、天井の間接照明、壁の塗装や空調の珊といった調度など、贅沢な暮らしをするという点では現代とは超えられない壁を感じる洋館だ。
高層ビルをポコポコ立てることができても、そのうち何本がこのように80年経ってもどっしり構えてるだろう。




上の写真の向かって右側にある入り口












中は撮影できないが、このエントランスのようなアールデコな部屋がいっぱい。
神戸の異人館のような明治大正期の木造洋館住宅とは別物の趣だった。















『約束された場所で』村上春樹

約束された場所で―underground 2 (文春文庫)
病は気からというが、先天性のものやガンといった遺伝子のエラーから進行するものではなく、失業のショックで病気になるとか、失恋で気を落として衰弱するなど、病気というのは心の問題と切り離せない。それで医者に診断されて病名を聞かされても、それはもう結果を聞かされたようなもので、自分にとっての原因ではない。

「地下鉄駅の構内でサリンを撒くなんてことをする集団は絶対悪であり、徹底的に取り締まらなければならない」という姿勢も、それはすでに結果であり原因ではないのだ。もちろん、オウム信者たちが、病気でいう先天性異常やガンといったレベルの社会的な疾病であれば、西洋医学的に外科手術で摘出すれば、それで根治である。

今でこそ「マスゴミ」とか「団塊世代のノンワーキングリッチ」とか、社会の仕組みに対する批判的がネットで共有されてもいるが、当時は決してそんなことはなかった。バブルがはじけても社会の仕組みはそのままで、そのシステムからはじかれた人はそういう存在すら認識されることもなかったし、今思えばマスコミの扱い方も相当ヒステリックだった。「こちら側に属せない、存在が許されない連中」というレンズでみられては、尚更意固地になるというものだ。

実際にあんな事件を引き起こしたのは、教祖を含め限られた幹部クラスしか知らないことだったようだ。そういう武闘派的な教義というのは、幹部クラスまで解脱した人間のみ追求するものとされていたようである。だから、一般信者にしてみてば全部まとめて犯罪集団のように見られるのはちょっとまってくれという思いが残ったようだ。そりゃそうだろう。
24時間好きなときに顔を出していい道場で、みんな素の顔でちらし折りをしたりして過ごしている。同じ目的で集まった人たちのゆるやかな連帯感というのは、そこまでは何もオウムに限らず居心地のいいものだろう。そしてみんな新興宗教の門をたたく位だから、自身の心の乾きに対してはハングリーだ。オウムでの暮らしは乾いた世間の生活の中で、心の湿り気と充足感を得られる場所だった。この本のオウム信者の話は読んでいてお腹が空いてくる。ケンタッキーのチキンを3ピース食べた後で、またご飯を一合炊いてのりたまをかけて食べた。本を読んでこんなにお腹が空くのも珍しい。






石鹸

文春四月号の記事を読んで。

ホロコーストで殺害されたユダヤ人は身に着けていた貴金属や金歯はむろん、はては脂肪が石鹸の原料に使われたというのは、本で読んで知ってはいた。

ホロコースト生き残りの人たちが一部で侮辱的に「石鹸」と呼ばれているとは知らなかった。それを今回の村上春樹さんのスピーチ、壁と卵とその「システム」の文脈で思い直してみて感じた。「石鹸」とはあんまりすぎる。あんまりである。

これまで、「自分がやったことは全部自分に返ってくる」と素朴に考えていたが、これは言い換えれば「人の不幸は人の不幸」ということでもある。

もし、自分の目の前で自分の知る人が石鹸にされてしまったら、僕はもうそんな風に考えて生きてはいけない。そしてもし、それが民族の規模で起きてしまったらどうなってしまうだろう。やはり政治はこれを引き取るのだろうか。国家がそんなことになれば、日本人ももう平和な民族ではなくなる。「石鹸」を引き取った政治が敷いた「システム」の中で、僕も「システム」という自覚抜きにコントロールされているかもしれない。

壁と卵の間には、そんな白か黒かでは割り切れないものがある。だからこそ村上春樹さんは無条件に卵の側に立つと、余白を残さない表現で明言されるのかもしれない。

「日本の戦後の経済成長の下敷きは戦争で生き残った世代の人たちが築いた。戦後の人間はそれを自覚してようとなかろうと、その上に乗っかってきたんだ。これは町工場から大企業までどこでもそうだった」という話をどこかで読んだ覚えがある。

戦争で仲間が死んでいくのを見て生き残った人が残りの人生を、どうして白か黒かで割り切って生きていくことができよう。自分から泥をかぶらずして、どうして毎日飯を食べて毎朝起きれようか(そういう人たちが築いた基盤の上で、白だ黒だと大声で叫ぶ学生運動って、どれだけ茶番なんだよと)。自ら泥をかぶる人間が戦後の日本の基礎を作ったのだから、この百年に一度などといわれる機会に団塊ジュニア世代もそういう日本を残したいとちっぽけながら思った。

3/20追記
株式日記と経済展望のエントリ
イスラエルのホロコースト記念館の教授によると、「ナチスが人間の脂肪から石鹸を作ったことはなかった」
のだそうだ。





『超・美術鑑賞術/お金をめぐる芸術の話 』森村 泰昌

超・美術鑑賞術/お金をめぐる芸術の話 (ちくま学芸文庫)

NHK人間講座があらためて文庫化されたもので、読みやすし。
なるほどーとすいすい読んでいたら最後にホリエモンのことが出てきてびっくり。
文庫化にあたって追加されたらしいが、最後の最後にお金の話が出てきて、受け手の型にはまった姿勢を裏切るところがまた森村泰昌氏らしい作品のひとつと言えようか。

と書けば礼儀正しいが、ホリエモンは今絶賛露出中だけに読後感がホリエモンに占領されてしまったのだった。

「お金で買えないものは何もない」という1億はてブ級な彼の発言に対し、ピーコが
「人のココロもお金で買えるというならそれはとても不幸なこと」と返したという、自身も出演していた正月番組について書いている。
「それから数年経って、実は今、ちょっと心が揺れています。」

なぜかというと、脳の停止が人の死ということになった現代は「ココロの在り処」がなくなって宙に浮いてしまっているからだそうだ。
身体感覚としては、ココロの在り処は今もって心臓だ。心を揺さぶられて感じるのは心臓のドキドキだし、祈るときは胸に手をあてる。たとえば、その心臓がお金を出して移植手術によって得たものだとすると、この場合ホリエモンの話は正しくなってしまい、ピーコは負けである。

じゃあ脳だとして我々は、お金で買えないプライスレスな何を得られるのだろうか?
心臓的なるリアリティはそこにはなく、あるのはITによって情報が拡大、拡散しているような無形の「プロセス」だ。そしてそれは今まさに、資本主義的なお金の構造を壊そうとしつつある。

そう、ここでふたたび、ホリエモンの発言が思い起こされてしまうのである。
それに対する森村さんの答えは文章ではなく、一つの作品として掲載されている。
森村さんらしく加工された、一枚のお札の写真だ。残念ながら僕では、ぱっとみてよく分からなかった。







『市場の変相』モハメド・エラリアン

市場の変相
訳者の牧野 洋氏のブログ:大手町からカリフォルニア: 訳書『市場の変相』が発売

文章はあくまでロジカルで、感情に訴える接続詞のような表現はほとんどない。厚みにして1cm程も読んでいると疲れてきてしまう。サブプライムショックに行き着く過程で、大量のノイズの中からシグナルを見極める能力が何かについて言及しているが、読みながら疲れていく僕はしまいにはノイズばかりになってしまう!
しかし、日本のバブル崩壊のときはこうした本がタイムリーに出ることはなく、政官財のヴェールの向こうを想像するしかなかった。ずっと後になってNHKが長銀の元頭取にインタビューした特集を観るまで腑に落ちなかったから、アメリカの変化の駆動力はやはりすごい。

サブプライム住宅ローンの仕組債自体は、アメリカの金融ゲーマーが儲けるために編み出した詐欺的債権でも何でもなく、今後も活用されていくと著者。モルガンだったかの若いチームが最初、リスクを細切れにしてバスケットに入れて商品にするというアイデアを考えた時は、これは世界の金融の仕組みを変えるぞと知的興奮を覚えた(らしい)とおり、これ自体はしかるべき蛇口を持つことによって世界の福祉に役立て得るもの、らしい。


「そんなに大きなことだというなら、なぜみんな気づかなかったのですか」というのエリザベス女王の質問がイイ。まるで悪戯に興じる子供らに「アンタたち何やってんのよ」と叱る近所のおばさんみたい。
女王陛下、それは良いご質問です なぜ誰も金融危機に気づかなかったのか――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース


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「われわれは金融システムの崩壊を目撃した」
「金融システムは生命維持装置につながれた。今もまだ同じ状態にあり、景気の底入れが近いとの兆しはみえていない」
世界の金融システムは実質的に崩壊=ソロス氏 | Reuters
とジョージ・ソロスが言うほどの派手なバブルになった原因は何なのか。それはやはり、泡銭がアメリカに集中してしまったことにある。





上の本の説明で印象深かったのは、アメリカは決して自らその力で膨大なマネーをかき集めたわけではなく、ドルを貯めた新興国が米国債を買いまくったからであり、新興国は金融システムが未熟なために市場での適切な運用スキルがなく、最も安全な米国債に投資してまた自国の製品を買ってもらおうとしたから、というところである。
つまり、アメリカとしては消費しても消費しても金が戻ってくるので、それを循環させるために誰も責任を取らなくてもよいという方便の仕組みとしてサブプライム住宅ローンが使われたというわけだ。

世界経済の新しい「ビッグ・ブローカー」として登場した新興国の政府系投資機関に金をドカドカ放り込まれ、相対的に力を失ったヘッジファンド。国をひとつ滅ぼすほどの影響力を発揮していたときは魔王のようにも見えたソロスのこの表情が心に残る。

本題。久しぶりに日経225プットのeワラントを注文した。日本のバブル崩壊後はりそなへの公的資金がトリガーになったが、アメリカはまだ。覇権国の立場のまま復活しようとしてもだめだ。ちゃんとIMFから金をもらうべきである。ただ、中川元財相のへろへろ会見は見ていて気分が悪くなっただけだが、オバマが命と引き換えに粛清をするような事態は絶対みたくない。






つらいことがあって沈んだ気持ちな時によくやること

古代ギリシャ人にとって時間は背中の後ろから前へと流れていくものという感覚だったらしい。過去は見ることができるけど、未来は見えないからだそうである。

インド人にとって時間は瞬間が永遠に繰り返されるものという感覚だったらしい。ヒンズー教の輪廻の思想の影響もあるだろうが、昨日と明日が同じ「カル」という単語だそうだから、生活感覚でもあるのだろう。

僕は単調なことをしているときによく「時間」を感じる。家までの帰り道で駅からてくてく歩いているとき、コーヒーのドリップカップからお湯が落ちるのを待っているとき、あるいはモニタに向かって、自分と直接関係のないことを確認するためだけにたくさんのメールを読み捨てているとき。とりわけ、気持ちが塞いでいるときに時間は長く感じて、ねっとりと自分にまとわりついてくるような感覚がする。

そういうときによく思い出すあることがある。ある人につらいことがあったのを知っていて、それは誰も助けてあげられない出来事で、たまたま同じようにその人が単調なことをしているとき、今すげーつらいだろうなってちらっと見たら、その人の口元はわずかに微笑んでいた、という光景だった。

ほんの数ミリの微妙な口角の話で、モナリザほどに微笑んでいたら違う印象を受けたと思うが、このときは違ってその人の強さやたくましさに衝撃を受けた。誰だったかももう覚えていないが、女性であることは間違いない。僕はうつむいて少し微笑む女性の姿が好きだから。

それを僕も真似するようになった。僕の口は放っておくと尖ってしまうので、唇は厚く、幅も小さい。いつのまにか力が入っているような感じだから、その力を緩めて口元を横に広げる。まれになんで笑ってるの?と聞かれてぎょっとすることもあるが、たいていは誰にも気づかれない程度だ。

そうすると、驚くことに、理由なんかないのに、その口元の筋肉の状態に影響されてなのか、沈み込んだ気分まで中和され、なんかやさしい気持ちになれてしまう。頭にこびりついて離れないはずの感情の状態が、あの一度衝撃を受けた光景を真似しようと思ってそうするだけで。






エルサレムでのスピーチの様子は

その場にいた日本人の方が見たの様子のエントリ。
漂流博士 村上春樹!
漂流博士 村上春樹!その2
歓迎レセプションで会話もされたそうな。氏が壇上に上がると空気ががらっと変わって張りつめたという様子など、当地でも単なる有名作家ではないという感じがした。

公開された全文もあらためて読むと、それは全くハルキ節などではなく、口頭で話すことを前提に綴られた知性を感じるもので、むしろ饒舌さすら感じた。

適当な箇所を選んでみて、彼がそれを日本語で日本人の聴衆を前にスピーチしている様子をイメージしようとしてみたが無理だった。仮に彼のメンタリティを別として、ありえないだろうが、同じような姿勢で壇上にのぞまれたとして考えても、あの内容で場が同じように成立する様子が想像できない。書かれた文章ならこんなに多くの人から好かれている、彼の母国なのに。真実を話そうといって、日本のことをネガティブに踏まえながらで。何が間違っているのだろう。壁はガザではなく日本にもある。紙に書かれた文章が意思伝達の手段なんて、刑務所の面会室以下かもしれない。そんな我々同国人が卵だ壁だと。なんか切ない。





村上春樹さんのイスラエル講演をハルキ風に和訳してみた

壁と卵 - 池田信夫 blogで英語のスピーチの抄録が紹介されていたので、ちょっとハルキ風に和訳してみた。



僕は小説家として - あるいは嘘の紡ぎ屋として、エルサレムにやって来た。政治家や外交官も嘘をつくけれど(すみません大統領)、小説家のそれは違う。

小説家の嘘は告訴されないし、またその嘘は大きければ大きいほど、賞賛も大きくなる。彼らの嘘と小説家のそれとの違いは、それが真実を明らかにするところ - 全体の中から掴み取るのが難しい真実をフィクションの世界で紡ぎ出すところ、にある。だが、小説家はまず、自分たちの嘘を明らかにするところから始めなければならない。

今日は真実を話そう。そんな日は1年のうちほとんどないことだけれど。
この賞を受けるのかどうか、僕はガザでの戦闘のことで忠告を受けた。それで自分にこう問うた:イスラエルを訪れるのは適切なことか?それは一方の立場を支持することにはならないか?

僕はいくらか考え、来ることに決心した。僕も多くの小説家と同じように、人に言われたこととは反対に行動しやすい。自分の目で見て、手に触れたものしか信じないような小説家にとって、沈黙するよりは来てみること、来て話すことのほうが自然なことなのだ。そして僕は、立ちはだかる壁とそれにぶつかって割れる卵となら、その壁がどれほど正当でまた卵がどんなに誤っていようとも、卵の側に立つ。

僕たちはみな、割れやすい殻の中にかけがえのない魂を持ち、それぞれに高い壁に立ち向かっている卵なのだ。その壁とは、人としてそぐわないはずのことに人々を強制させる「システム」のことである。
僕が小説を書いている唯一の理由は、人が持つ最も尊い神性を描き出すことにある。僕たちを巻き込む「システム」に対して、その神性のかけがえのなさで満たすことだ。- そのために僕は人生を書き、愛を書き、人々に笑いと涙を差し出す。

誰もが立ちはだかる壁に対し望みを持てない:それは高すぎて、暗すぎて、冷たすぎる、僕たちはそんな割れやすい卵なのだ。だから暖かみや強さを得るために、心を繋ぎあわせなければならない。僕たちは自分たちの「システム」にコントロールされてはならない。それを作り出したのは僕達自身に他ならないのだから。

僕の本を読んでくれたイスラエルのみなさんに感謝しています。この場が何かの意義をもつことができればと思う。僕がここにいる理由とともに。



書いててジーンときた。




3/10追記:文春4月号に村上春樹さんのインタビュー記事が掲載された。

 ネット上では、僕が英語でおこなったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんなが僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。

という箇所があった。朝電車で読んでやばかった。帰って「石鹸」について書いた。







LX3にLC-1 RICOHレンズキャップをつける

RICOH 自動開閉式レンズキャップ LC-1
これ。ビックカメラでは1500円。

東急ハンズにも寄ってケラレ対策品も。結局使ったのは真ん中のやつだけ。


本体側ねじ部の径に合わせ、写真程度に彫刻刀かナイフでねじを切るように尖らせて削る。
といってもスクリューのようには削れない。
カバー本体の湾曲を利用してバチバチっとはめて付けることになるが、
カメラ本体側の樹脂ねじのダメージは抑えられる。
撮影のために2,3度つけ外した後も元のやつは使えたのよかった。


ケラレ対策のリングは両面テープで本体に接着。


できた。このゴムリングはレンズカバーの三角板が衝撃を受けた時の支えにもなるので、ぜひ。







「NULL」と「0」と「'\0'」と「""」

スーツをクリーニングに出そうとして、昨日ABUSを駐輪場に置き忘れてきたことに気づいて取りに行く。ついでに足を伸ばす。


暖を運んだ昨晩の強風、
梅の花びらももうくたびれ気味かな。













葉っぱのコロニーの数、
この木何の木ビッグカンパニーの木。











フロントブレーキはますます当たりがついて、
ぎゅいーっと効くようになった。このシューで十分。















(シューカセットの向き前後逆)→




リアはやっぱりそれなり。
高速から両手でブレーキングするときは、左右の握力を気にしなくていいので操作はしやすい。








日比谷公園でルーパ・ロマーナを見つけた。昭和13年、イタリア大使館から送られたもの。
ローマの地に町を作った集団のリーダーだったとされる二人は、生まれてすぐテベレ川に捨てられて狼に拾われ、狼の乳を飲んで育ったという伝承がある。
これは、ローマが誰かの家系や財産を引き継いで始まったのではなく、ゼロの起源からのものだったことを表している。

後ろ盾となるものを何も持たない彼らは、エトルリアなどの隣接するより強大な街を吸収するのではなく、同化してしまうことで大きくなっていった。昨日剣で突き合った敵が今日はおらが村のお隣さんになっているという具合で、それが発展した共和制はギリシャの非市民を締め出した直接民主制とも異なり、これによってこそローマ文明の繁栄がもたらされたのだ。というのは塩野七生さんの受け売り。
ゼロから何かを生み出すのは歴史や伝統に胸を張るよりも格好いいことであり、一見野蛮に見えるこの像は、逆にそれだけローマ人の誇りを示しているというわけである。
たとえば、主婦が買い物に使う自転車にエンジンをつけて始まったというホンダスピリットが、ハイブリッド車のインサイトにあの値段をつけさせたのであり、それはホンダの中の人の誇りの表れでもあるのだろう。
これに対するトヨタのプリウスは、プライドだけでは商売はできにゃあと、新型は発売するけど旧型もプライスダウンで販売し続るという戦略で、ホンダの副社長?だかの人は「理解できない」といったとか何とか。このガチンコ勝負もまたおもしろい。


char16.png



『危険なプログラムの処方箋』より。
aのサイズは16byteだが、
関数への引数として渡されると、
romanaの引数にchar i[16]と書いているにもかかわらず、そのiのサイズは4byte。

Cは実効速度を優先するので、配列の引数はコンパイラが勝手にポインタとして処理しますという説明以外に納得できる理由があるなら知りたい。
ないなら、C言語コーランの教えがそうなっているので信じますとしか言えん。






あとこれ
char gStr[128];

void f1(){ strcpy(gStr, NULL); }
void f2(){ strcpy(gStr, 0 ); }
void f3(){ strcpy(gStr, '\0'); }
void f4(){ strcpy(gStr, "" ); }
コンパイラが唯一通すf4()だけ、0番地のNULL領域を使用せず、gStrに'\0'がセットされるというわけらしい。別の本では、128byteの残りの領域も'\0'埋めされるともある。

p90の説明を引用しておくと、
簡単にいえば
「NULLは無効なポインタ」
「数値のゼロは単なるゼロ」
「'\0'は文字列の文末コード(数値だと単なるゼロ)」
「""は空っぽな文字列」
という解釈になるでしょう。実際に機械語に落とされた結果を眺めると一発で分かるのですが、NULLにしても0にしても'\0'にしても「ゼロという値」がstrcpy関数の2つめの引数にセットされます。
JavaScriptのnullとundefinedと0は迷わなくなったけど、これは意味分かりません。これもコーランの教えでつか。






C言語診断本

関数を丸ごと(囲って)();呼び出して初期化に使うとか、数年前までネット上のサンプルでも見られなかったJavaScriptの書き方がC言語では当たり前に使われていて、歴史の勉強みたいで結構面白い。

Folderオブジェクトの中のファイルに対してfor文で回したいとか、WScript.Networkでドライブのコレクションをforで回したいとか、そういうときはオブジェクトをわざわざEnumで列挙しないといけなかったのが、C言語の構造体でシンプルなenumがあるのを見て歴史を感じた。

あと、型キャストでビットが削れて元の状態が想像もできない値が出力されたりとか、文字列型は存在しなくてつまりcharの配列だからその参照渡しならぬポインタをそのまたポインタしてポインタのポインタのえとえと***とかなると、頭で数字をこねくり回して記述する面倒がいかにスクリプト言語でマスクされているのかに驚く。

変数の定義はJavaScriptならどこでもできるけど、Cでは{}で囲むブロックの先頭でしかできないというのは「おーっ」って思ったり。

でも、ここでわざわざmemset()してるのは何のためなんだ?とか、数行でできるような文字列をsubstringする関数すら標準でないのはなんで?っていう、C言語なるもの自体に対する疑問のような質問を人にぶつけると、それは構造体で定義しといてやったほうが速いものだから云々とサンプルを見せて説明してくれて、もう今日は「アッー!」ってなった。

C言語はどういう風に書かれるのが常識的で、どう書くのがセキュアだっていうポイントはネットを漁ってもあまり見えてこない。記法が似ているだけに、シンプルなサンプルはすぐ理解できた気になってしまってよくない。だめな書き方で、こうなってしまうからいけない、こう書くのが流儀なのだっていうのを知らなければならないと、今日も帰りにジュンク堂へ寄った。Cプログラミング診断室―さらに美しく健康的なプログラムのためにすべてのプログラマに効く 危険なプログラムの処法箋





うますぐる金柑ジャム










柑橘系は全般が好きで、皮も食べる金柑はとくに好きだ。
金柑ジャムをいただいた。
いただいたというか、僕から厚かましくお願いした。

そしたらこんなに本当に送ってくれた。
荷物を受け取ったらすぐスーパーに行き、サラダとシーチキンとフランスパンを買って帰った。
たっぷりとジャムを乗せ、LX3でパシャリ。そしてがぶり。
鼻歌が出ました。ありがとう。





エーコに身構える







大学生のころ、雑誌『InterCommunication』の記事でたしかハイパーテキスト論の記事を読んで衝撃を受けたのを覚えている。まるでこっちの読み方なんて全てお見通しで、落ち着き払ってダメージを与えるパンチだけを繰り出してくるような文章だった。

それで大きな本屋を探しに回ったけど、在庫なんかなかった。図書館でどうだったかは覚えていない。見つけられなかったか、歯が立たなかったかのどちらかだろう。

今日買いに行ったジュンク堂本店で文庫の在庫は僕で最後だった。
この年で読んで僕は当時の感受性を蘇らせることができるか、
あるいはより深みのある考えをめぐらせることができるのかどうか、読む前からビビッている。






東プレ REALFORCE91UBK



東プレ NG01B0 REALFORCE91UBK
昔、AIRっていう消しゴムが発売されて、字をこすってもふわふわした感じで力を入れなくてもみるみる字が消えるのが好きでずっと使っていた。

BSMでぶっ飛ばしたときのゴムサスもそんな感じがあって、池袋から首都高沿いに下って護国寺の講談社あたりまでの下り道はまるで空を舞うような気分になる。

しかしキーボードの場合、ふわふわはだめである。
メンブレン式という、ドーム状のラバーをクリクリと押しつぶすなんとも頼りなげな感じがだめだ。

それで、FILCOのCHERRY茶軸を買って一年ほど使ってきた。途中で職場に持って行き、家では青軸を数ヶ月使ってきたが、これがなじめない。昔マックの頃に使っていた、メーカーは忘れたがタッチが柔らかくてカチャカチャ音がするのとは別物だった。

それで、いよいよこの東プレを奮発してきた。メンブレンとコイルスプリングの合わせ式だ。
好きな人が絶賛する打鍵感はどんなものか。

個人的な好みでは、クリック感さえしっかりしていれば、途中で反発力が抜けるタクタイルはなくても気にならない。たとえばセブンイレブンのIYバンクATMのテンキーなんかが好きだ。

第一印象では、CHERRY茶軸のようにそのまま沈み込んでいくような独特にリニアな感じはなく、
メンブレンのこりっとした感覚があるが、指の力に合わせて外に行くほど柔らかくなっているせいか、
思ったほど違和感はない。

正直いえば、キーボードの押し心地にうるさくない人が目をつむって叩けば、DELLなんかに付属の柔らかメンブレンとの違いは気づかないかもしれない。家電売り場などで立った姿勢で試し打ちすればそうなると思う。

しかし、PCに向かってリラックスした姿勢で入力に集中したりしていると、指に力がいらなければいらないほど快適なので、同じ感覚で押していても実際にかけている力はぜんぜん違ったりする。
その点、このキーボードは静電スイッチで、そーっと押せば底付きしなくても入力されるし、Aキーとかエンターキーなんかは小指でも力要らずで入力できる。

ただタクタイル感というか、押し始めの初期の抵抗がしっかりあるので、ピアノのように流れるように叩く感じでは茶軸のほうがいい。茶軸はそのかわり、押し始めてから入力されるまでのストロークがあり、その後はすっと底までいってしまうので、どちらが「脱力入力」できるかといえば、甲乙つけがたい。

あと、ウインドウズキーとコンテクストメニューキーの形が一段低く手前に傾いているのはすばらしい。












『卵の緒』瀬尾 まいこ

卵の緒 (新潮文庫)
『卵の緒』と『7's blood』の2作が収録されている。
テーマは題名からも騒動されるとおり、どちらも血のつながりについて。

一方は血のつながりがない親子のハッピーエンドで、もう一方は血のつながりのある腹違いの姉と弟の絆がテーマ。
これら2話を一冊に収めることに作者の意図を感じるが、実際どちらもいい話だった。



作者はあとがきで「私には父親がいない。女ばかりで育った」と書いている。
女性の作家が書く小説に出てくるのは女にだらしなく、いい加減な男が少なくないと思うが、
この本では少年からおじいさんまでそういう男は登場しない。
悪い男に人生を振り回される女、といういわばありがちなテーマに対して、
男がすでに死んでいるか単なる脇役であるのに女の人生が形成されていく様子は、男として読んでいても余計な気分に邪魔されない。

興味深いのは、女のケツを引っ掻きまわす男がいない中で血縁という重いテーマに取り組んでいるところだ。
会話のひとつひとつに配慮が行き渡っていて、人間関係も円滑なところは女性的な文章で、そんな平和な?空気の中で血が語られるギャップがいい。

最後に頼れるのは血のつながりだけとか、血縁なんて血液型占いと同じくらいの迷信だとかいうのは、
人生で壁にぶち当たった際の理由づけでしかない。

人が遺伝的に持っていて「血のつながり」として意味づけして語られるものと、
血のつながりがなくても大切なものとして一緒に暮らした時間で獲得できるものとは、
違う角度からみて言っているだけで、どちらも同じその人の資産である。

口にすれば反論されるのは容易に想像できるが、「理由付け」を人に押し付けるのは「理由付け」を必要とし、必要としないことを受け入れられない方である。
それは病人が腹が減ってないと言っても回復のために食べさせようとするのとは違う次元の話だ。

この本はその次元の物語。






微速度撮影動画 Nature Time Lapse


KOJAKのタイヤを買いに行ったお店のブログあやし~さいくるより。
突然こんな動画を載せたり、ショップへのリンクをはってないところがかっこいいです。
お店の人も温かみのあるやさしそうな人でした。

HD動画です。全画面で最後まで観てしまいました。
カメラがパンしているようにみえますが、これは動画作成時に一枚一枚ずらした超力作加工でしょうか。実際にカメラを動かして撮影していたら、もっとすごいですが。
6:00あたりの再生速度の変化には、光を操る技を感じます。

何億年も前から繰り返される風景、何千何万の人が眺めたであろう光景、
そしてこれからも何千何万の人が眺め、何億年と繰り返されていく風景。

たった今こうして生きて、それに触れられるだけで十分なんだと思われます。
そんな作品を世界中でいつでも閲覧可能になっていることに改めて驚きます。

記憶というものはだんだん薄れていき、死んでしまえば無くなりますが、
その時抱いた思いはずっと残り、思い起こせばいつでも胸に蘇ってきます。

こういう空を眺めるといろんなことが思い出されてくるので、
空には思いが永遠に残っているような気にもなってきます。

人の印象というものがなかなか変わらないのはそうした思いが風化せずに残るからかもしれませんし、
あるいは、人生をかけて何かに取り組むことができるのも、そのおかげなのかもしれません。







『君のためなら千回でも』カーレド・ホッセイニ

君のためなら千回でも(上巻) (ハヤカワepi文庫)君のためなら千回でも(下巻) (ハヤカワepi文庫)
11歳までアフガニスタンのカブールで生まれ育った作者のデビュー作。911事件後の2003年に刊行され、全世界で1000万部というから、おもしろくないわけがなかった。元題は「The Kite Runner」で、文庫版の邦題はやや釣り気味。

中身を強引にたとえるなら、ドラマ「北の国から」のアフガニスタン版といえるかもしれない。読者と同時代に生きる主人公が澄んだ目で自らを語りながらも、そのとおり生きれないナイーブな語り口の構図が似てはいる。
ただ舞台のスケールが違う。ソ連の侵攻、ムジャヒディン、タリバン、2001年のアメリカ空爆までで、さらに、今読めばオバマ大統領のアフガニスタン攻撃プランのことまで念頭にしてしまう。

アメリカが戦争をしかけるときのマスコミ報道をみていると、どうしても攻撃されている中東の方が親しみにくく感じてしまうが、たとえば「おしん」のようなドラマがどちらに受け入れられているかといえば断然中東の人々だ。日本人が大好きで捨てる気もないこうしたウェットなしがらみとからまる愛や友情、絆、裏切りといったテーマについては、日本人はアメリカ人よりも中東人に近い。

もちろん、作者も書いているようにアフガニスタン人は自分たちで自分たちの国を壊してしまうような民族になってしまってもいて、日本は島国であり、文明の十字路といわれるアフガニスタンのように他国にひっかきまわされることがないから、このあり様には一歩引いてしまう。

だがそれとて今の日本にとってひとごとではない。数十年という世代交代の単位でみれば、国というものが新陳代謝を忘れてパワーを失い、うらぶれた状態に落ちるには3,4世代ほどである。格差のせいで若者が家庭を持たなかったり、仕事に熱意を持てなかったり、時代にそぐわない会社役員のおそまつな舵取りだったり、あるいは社会の中で重要な職であるはずの教育者や記者や官僚のアホな事件。数十年前なら大騒ぎなりそうなことが、きりがないほどあふれている。

そうした出来事が積み重なっていき、人のメンタルが荒んでいった果てにはこういう状態が待ち受けているのだとおそれながら読むことが実際できてしまう。日本でタリバンやムジャヒディンのような集団が交代で街を壊して暴れ回るという想定はできないが、病原体が弱った体でこそ繁殖するように、その頃には、正義の代理人の顔をして儲けようとする武器商人と、正義の行使者の顔をして飛んでくるミサイルとが交代でやってきて、もう当人たちだけではどうしようもなくなってしまうのだ。

ドラマのおしんが向こう(といっても特にはイランだけどイランはシーア派ハザラ人が多くそれは登場人物ハッサンと同じだ)で大人気だったように、この本も日本人の機微に通じるウェットな文学テーマが満載。
オバマアメリカがまた砂漠のなんちゃら作戦とか言うのを聞く前に、この本で911以降のねじれた感覚をはっきり平衡状態に戻せるのはよい。





ニッポン!ニッポン!ニッポン!




This is Japan! from Eric Testroete on Vimeo
flickr 「Collection: Japan」

LX3持ってBSモールトン乗って旅行きて!





『モーセと一神教』ジークムントフロイト

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)
ツタンカーメンの前の代のファラオ、アメンホテプ四世の頃にエジプトは一神教化されたことがあったそうだ。それを後押しし、側近として仕えていたエジプト人がモーセであり、これが人類史上初の一神教だったというフロイトの仮説である。
そのアメンホテプ四世が死んだ17年後、エジプトは元に戻り、モーセは居場所がなくなった。彼は別の方法でこの理想の実現を行おうとしたという。いわゆる出エジプトである。

古今東西のどんな神や聖人もそれを信仰する人々の暮らし向きとは無関係ではいられない。
よりよい暮らしができるならその民族が別の神を受け入れることは希ではない(p81)。
モーセがユダヤの民を選んだ以外は、だって・・・

歴史を辿れる最も古いエジプトからギリシャ、共和制から共和制の顔があった帝政期までのローマなどの古代文明は多神教である。それまで異なる信仰対象を持っていた人々が勢力内に組み入れられて共通の暮らしをするようになっていけば、これは当然ともいえる。

それら神々の中でも一番人気は、日本人の「オテントサマ」に近いものだと私は勝手に思う。
「オテントサマに怒られますよ」と子供を叱ったりするときのあれ。
一番人気だから生活に一番身近で、つまり世界中あんまり変わらないところの「おてんと様」である。

問題は、その社会で差別や疎外に合う、奴隷的な身分の人たち。
「おてんと様」が味方ですらないので、これはもうどうすることもできない。
母親はなんといって子どもを叱ればよいのだ?

モーセは言った。お前たちは選ばれた民であり、このエジプトを出て、ユダヤの地で十戒を守って暮らすのだと。
・魔術、妖術のたぐい、神仏像の作成はダメ(アンチエジプト的だ)
・死後の世界は無し(神とそれに類する人の永遠の存在)(アンチエジプト的だ)
など。

しかしその後、ユダヤ民族はモーセを殺してしまう。これはキリスト教の白人からユダヤ人が嫌われる理由の一つであるとフロイトも書いており、ユダヤ人である彼自身にとって父親殺しのエディプス・コンプレックスと無関係ではない。(p153あたり)
この本は中盤からフロイトの心理学の理論、心的外傷やセックス、エス(超自我)の話が続き、このあたりは走り読みする。
印象に残ったのはp124

おそらく人間はいつも幼年時代という魔術に支配されているのであって、この幼年時代は、人間にとって、決して公平無私とは言えない記憶によって不満なき至福の時代として映し出されている。

今現在も殺しあっている三兄弟。とくに抱きかかえられた血まみれの子供の写真が目につく。

宗教であろうがなかろうが、殺し合いであろうがなかろうが、
子供を巻き込んで諍い合う必要のあるものは例外なく愚かな考えである。

宗教がもとでそんな殺し合いをしている場所があるなら、平和と博愛精神を唱える宗教者はそれが本当ならガザに行っているべきだ。それが一神教同士のいさかいであっても。
その信仰が幼年時代の消し得ない記憶の合体としてあるとしても、一人の大人として選択している信仰者なら、ガザに行かないことに矛盾を感じてしまうのではないか?内なる信仰心とその外の現実世界との間に心理的なフェンスを感じるのではないか?それはまるでガザを取り囲む壁のようではないか。口だけなら私でも宗教者になれるし、口だけの金看板なら下ろしたほうがいい。

イラク戦争が終わるかと思ったらこれだ。だんご三兄弟が一時期流行したが、一神教三兄弟元気さは度が過ぎる。






尾崎裕哉 I LOVE YOU



久しぶりにYouTubeで目がうるんだ。

尾崎裕哉さんの歌声があまりにもあまりにでどよめきが起こっている。

1:40のとこで映された照れくさそうにはにかむ顔を、尾崎豊さんは見ることができただろうか。

僕には重なって見えた。



1/15 世代を超える死神参上により追記

著作権法上の権利が侵害されたとの申し立てにより削除って何だよ。

ニコ動ではまだ見れる。

もうダウンロードしたので個人で楽しみます。

てか、(株)アイソトープってこれ?アイソトープについて語るスレ - 尾崎豊板

このパーティ会場の様子では周りの人もみんな撮影しているし、あらかじめ録画録音禁止の契約があったとは思えないし。時代に逆行してる。

ネット上の扱いはフェアユースとか今まさに議論のまな板(デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会)にある。

歌う人やそれを聴く人の幸せと金との二者択一でお金を選んで削除させるよりも両立を考えれば?


1/17 追記
YouTube、著作権許可を得ていない楽曲を使用した動画の音声をオフに:ニュース - CNET Japan
YouTubeが釣りを始めたですか。
音声だけ消しても動画ファイルの容量はほとんど変わらない。
インフラコストをかけてでも無音声動画を視聴者が見られれば、
そのムラムライライラは削除アナウンスの文字列でがっかりの比ではない。
矛先が「利便を阻害するのは著作権益者かっ」ていくのをYouTubeは期待しているのか。






『オーデュボンの祈り』伊坂幸太郎

オーデュボンの祈り (新潮文庫)
きれいに書かれたプログラムを「エレガント」ということがあるが、その主観的な表現は他人がまねできないことを表現しているようで好きではないが、『死神の精度』のおばあさんの描かれ方はそうだった。
それでこのデビュー作を読んでみた。読んでいていろいろつっこみたくなるところは、心温もる終わり方でどうでもよくなった。

この小説の主人公は伊藤ではなく案山子(かかし)。しゃべる案山子。未来がみえる案山子。


アニメの一休さんでは、人の心をもちながら人としての人生を持てないてるてる坊主のお母さんの存在に子供ながらシュールさを感じていたが、母性というキャラクター設定でそういう面は包み込まれていた。

てるてる坊主のお母さんは一休さんの身に起きたことは全て知っていても自ら手を下すことはないが、この案山子は違う。人と対等に会話し、殺人事件の犯人が誰かを話し、ときには人と衝突しつつも最後には昇華していく物語だ。

「人が人を裁けると思うか」
「思う」これは、僕の本心だった。死刑や刑罰の問題が起きるたびに持ち出される、「人が人を裁いて良いのか」という主張が嫌いだった。何人殺しても死ななくても良い、という法律はすでに、法律じゃない。


僕としては、犯人が刑務所の中にいるのなら、1年後に死のうが40年後に死のうが大して変わらない。それは自分が被害者になってみないと分からないことだけれど、そう思う。

その代わり死刑に値するような犯罪の更正に要する刑期は三千年以上だ。いや、それだと屋久杉より早く死ねるから5千年以上だ。むしろ不老手術を受けてそれくらい自らの罪と向き合ってろと思う。自殺も逃亡、脱獄の一種である。こう思うほうがきっと残酷だし、自らの死をもって人を救うという権利は与えることすら腹が煮える。それはもっとも高みにあることだからだ。案山子の優午のように。

犯罪者が自殺するのとは話が違う?被害者のことが申し訳なくて自決するわけではないから?
それは第三者の目からみた姿であり、本当の姿は不可視である。
ある一人の人間のプロセスが終了してこの世から無くなることではどちらも同じであり、この世に生きる残りの者にとって、それ以外のことは不可視だからだ。





HD突然死

昨日からエラーが頻発し始めて、結局DELLのツールで工場出荷状態に戻そうとしたものの、DLLが壊れてるとか赤いエラーポップアップの連発でOKボタンを100回以上はクリックして頭がプッツンしてビックカメラへ。バルク品の1TBで7000円くらい。

壊れたHDは2台目のスロットに移して繋いだままにしたが認識すらせず。いろんなデータが黄泉の彼方。しかしブラウザでブログを開けば、何事もなかったかのうように表示されるからエライ。

上位献金者にMSとGoogleがいるオバマは、景気刺激政策としてギガの常時接続回線を引いていくらしい。YouTubeで高画質動画見るのだって回線速度は数メガもあれば十分だが、一足飛びにギガでいこうとするのは、いわゆるクラウドコンピューティングに本気なのだろう。

今年は数十ギガ単位のSSDが本格普及だから、ダイヤルアップのチャルメラサウンドも今聞けば懐かしいが、HDのカリカリ音もそうなっていくのかと思うとちょっと切ないな。PCの行く末もさもありなん。






『ティファニーで朝食を』村上春樹訳

ティファニーで朝食を (新潮文庫)
やれやれ、ため息をつきながら家に帰り冷蔵庫からビールを出す。ドアをさびしげにノックする音が聞こえて、僕がドアに鍵をかけるころには彼女はもうベッドにあおむけになっていた。

なんて村上春樹だがこの本の語り手の男もそんな感じだ。
若くして時代の寵児になり、成熟した長編小説を仕上げ、その後ノンフィクション作家としても地位を確立という、作者のカポーティ。


ついでながら、疑いの余地なく翻訳者ハルキ自身の魂が重ねられており、シンプルに絞り込まれ、ジャズのようなリズム感を保ったまま読んでいけるハルキマジックの日本語そのままに、彼が「イノセント」と形容する主人公ホリーの、甘くて切ないセリフや人生を楽しむことができる。

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
ハルキマジックの原点に触れるなら、彼が何度も何度も読み返したといい、人生で一冊だけ選ぶならこれ、という『グレート・ギャッツビー』はその血しぶきを浴びれるくらいそういった形容詞に浸ることができる。できた。ハルキを知るなら必読だ。











『モーターサイクル・ダイアリーズ』エルネスト・チェ・ゲバラ

モーターサイクル・ダイアリーズ (角川文庫)
雇用問題ばかりだった正月の討論番組で竹中平蔵氏が、「同一労働同一賃金」の改革は財界の反対にあってできなかったんですよと言い訳していた。国の将来のために正直であるなら、彼はもっと派遣労働の規制緩和で強気で取引すべきだっただろうが、少なくともここまで社会問題になるとは当時も考えていなかったはずだ。正規社員の待遇が恵まれすぎ(のせいで社会全体の幸福や発展が損なわれている)と後だしジャンケンしていたが。
派遣問題はひとことでいって雇用調整だったのではないか。社員は家族だといってオイルショックでも一人も首にしなかったといわれる当時の松下電器のような会社はもうどこにもないが、まだまだ企業には正社員の待遇を守ることに人材流出を防ぐという利益がある。おそらくそれももう時間の問題だろう。なぜならその理由は、競争相手企業がみんなそうしているからという理由でしかないからである。今年から深まっていく不況の危機の中を、生き残っていく企業がそれとは別の戦略をとり始めるのなら、どの企業もそれにならっていくだろう。生き残るために。
それに上場企業の場合、正社員の人件コストは固定費なので決算がやばくなっても動かせないが、派遣や外注契約は変動費に計上されるので、赤黒の調整がきくというメリットがある。
トヨタが昨年11月に発表していた6000億の黒の中間決算が12月には1500億の年度赤に下方修正されたのは驚いたが、それでも大量派遣切りを問題にされるトヨタが、社員全員がニートになって家でぶらぶらしても5年は給料を出し続ける内部留保があるという話が本当なのなら、明らかに社会全体の利益をねじまげる異常なことだし、国際競争力を維持するためとはいえ、それを後押しした政策もやりすぎだった。
確かなのは、たとえ内需企業であっても政官財のトライアングルを利用して生き残ることはできなくなり、政策の修正を目ざとく取り込み、努力した人が報われるのだというアナウンスを上手く使って有能な人材を集めて業績を上げていく企業が生き残るという点である。

そもそも、「正規」だ「非正規」だと耳にタコができるぐらい目と耳にした正月のテレビとネットだったが、そんな言葉が流通しているのは日本だけだ。正しく翻訳できる外国語の単語だって存在しないという。一般的なのはフルタイムかパートタイムかだけで、その待遇の違いをめぐる議論を正規か非正規かという、まるで本物の従業員かまがいものの従業員かのような語弊のある単語で済ましている時点で生産的でない。なんだか、ゲバラの時代の階級闘争で革命的労働者とはって叫んでいた議論を、日本人が一般的に勤勉だからこそ維持している競争力のおかげで、その箱の中でままごとでやっているように聞こえてきてしまう。本当に今生死の境にいる人には申し訳けできないけど。日本人がヘルシーな環境で勤勉であり続けるためにはっていう話に、正規とか非正規っていう単語が日本人らしくないというか、そぐわない気がする。

単語はともかく、ゲバラが南米諸国の貧困に深刻な衝撃を受け、闘う相手としたのは資本主義とりわけ、貧しい人たちの利益をかすめ取っていくアメリカ資本と、根も葉もない共産主義の脅威をでっちあげて人の国を中からかきまわすCIAだ。(イラク戦争で大量破壊兵器をでっちあげていたCIAとなんら変わらない)そんな人生の転換点の一つとなったグァテマラ事件のことは『CIA秘録』にも、アメリカのおそまつのひとつとして載っていた。
キューバ革命後のゲバラは、国民の利益に背いて米ソ大国同士の競争論理にキューバが振り回されるのに愛想をつかして再び南米諸国のゲリラ戦争に加わっていくのだが、この正直さが竹中平蔵氏の後だしジャンケンとの違いである。

そんなゲバラが革命家になる前の普通にいい人柄の青年ぶりはなんだかネラーと重なる部分がある。今年はキューバの革命50周年記念でメディアでも取り上げられるだろうから蟹工船くらいには話題になるかもしれない。
モーターサイクル・ダイアリーとはいっても、旅の始めの方でバイクは廃車になってしまい、あとはヒッチハイクだ。密航で輸送船のメロンの倉庫に潜り込んで、メロンを盗み食いしたくだりが面白かった。

…がつがつとメロンを食べていた。僕らは親切な水兵たちのことを話題にしていたが、そのうちの一人の協力で船に乗り込み、こんなに安全な場所に隠れることができたのだ。そんなとき、腹立たしげな声が聞こえて、それからとても大きく見えた口ひげがどこからともなく現われて、僕らはびっくり仰天してしまった。完璧につるつるになったメロンの皮の長い列が、穏やかな海上を一列に並んで漂っていた。後になってから、水夫が言った。「おれがあいつの目をくらましてやることだってできたんだけどよ、兄さんたちよ、なんせメロンを見ちまって、すぐさま嗅ぎまわり始めたんでよ。あれじゃどこのどいつだって助からんよ。船長は酒癖が悪くってねえ」それから、(恥ずかしそうに)「兄さんたち、あんなにメロンを食わなくてもよかったんじゃねえの」といった。


ほかには、ペルーで牛を運ぶトラックに乗せてもらっていたとき。

おがくずの層でできた支えの基盤を失い、しかもトラックの揺れに耐えながら同じ姿勢でいるのにつかれてきた牛たちがしょっちゅう倒れてしまうので、ほかの牛に踏みつけられて死んでしまわないように、何が何でもそれを引っ張り起こさねばならなかったからだ。
あるときアルベルトが、一頭の牛の角が他の牛の目を傷つけていることに気づいて、ちょうどそのときそちら側にいたインディオの子供に知らせた。この民族の精神の全てを込めて肩をすくめながら、子どもは言った。「これからどんな見るものがあるってんだい」。そして落ち着き払って、紐を結び続けた。それは中断された時に専念していた仕事だった。

インディオの民度の低さではなくて、子どもにこう言わせてしまう貧困のことをゲバラはいっている。こんなことを体験しながら南米を縦断していけば、そりゃ、石油や鉱物といった天然資源を採掘していくアメリカ資本と、その資本を使って(まだ理想が見えていた頃の)社会主義の邪魔ばかりするCIAが憎らしくもなってくる。

1/8 追記:
池田信夫氏のblogエントリ格差の正体でOECDの報告書の日本語版が紹介されている。当然のように「正規」「非正規」という日本的雇用語で翻訳されているが、08/12/18に掲載されている英語の報告では以下ように説明されている。
Japan could do more to help young people find stable jobs

Young people in Japan are finding it increasingly hard to get permanent jobs and the Japanese authorities should expand vocational training schemes and increase social security coverage for young non-regular workers in order to help them.

本文(赤字筆者)

In 2007, around one in three young workers aged 15-24, excluding students, were in so-called non-regular work, such as temporary or part-time jobs. These jobs provide low income and social insurance coverage and little potential for people to develop their skills and careers. It is also difficult to move from temporary into permanent work, leaving many young people trapped in precarious jobs.

To help young people in temporary or part-time jobs, known as freeters

non-regular workという単語だけでは日本の非正規雇用の状況の説明にはならない。





『非線形科学』蔵本由紀

非線形科学 (集英社新書 408G) (集英社新書)
読み終わってネットで検索するまで、女性だと思って読んでた(゚Å゚)蔵本由紀氏。

この、あのひと検索SPYSEEの著者紹介、最後に紹介されているスケールフリー・ネットワークでもあるか。
これのすごいのがSFC(FLASH版)。ネット上で文句いわれたせいかHTML版も復活しているが、その選択ページのシンプルっさぷりがまたw






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笹部 政宏
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